ロンドンロングナイト

 ロンドンの夏の夜は明るい。
21時頃まで、沈まぬ太陽がしらしらと、薄明るい光を齎す。自然、皆も夜更かしになる。
サマータイム真っ盛りの7月、いつもならそれゆえに、夜半まで「OPEN」の看板がかかっている「イリュージョン」だが、今日は「CLOSE」の看板が早々と営業の終了を告げていた。
だが、店の中には灯りがともり、人影がある。
美しきオーナーの個人的な客が来ているのである。
個人的な客──つまりは友人であるところのリョウ・サカザキは、この店を訪れる時の定席であるカウンターの椅子に腰掛け、この日何杯目かのスコッチを傾けている。
キングもまた、仕事中のようにカウンターの奥に立っているのではなく、リョウの隣に座っている。その彼女の前にも、彼女のワーキング・タイムの終了を示すかのように、ルビーのように赤いワインを注いだワイングラスが置いてあるのだった。
「そういえばジャンがGCSEを受けてね」
と、キングが思い出したように言った。
「GCSE?」
訝しげに問うリョウに、キングはイギリスの教育制度を説明してくれた。
「イギリスは16歳でGCSEって云う試験を受けるの。義務教育の終了試験」
リョウは驚いたように顔を上げ、笑う。
「もうそんな歳になったのか、ジャン。……俺たちも歳を取るわけだ」
そう云う彼の表情に屈託はない。
「そんなこと云ってちゃって。変わらないよ、あんたは」
キングは笑う。リョウも頷いた。
「お前もな、キング。最初に会った頃のお前はおっかなかった」
「どういうこと?」
「今も変わらずおっかない」
「何それ、失礼ね」
リョウの言い草に、キングは思わず吹き出す。
「冗談だよ。……変わらないよ。なんて言うか、ムエタイも強いままだし、作る酒も美味いし、」
一緒に居てcomfortableなここちよいところが。リョウは最後にさらりと言って、グラスに口をつけた。
時々、不意にこんな言葉を口にするこの男の真意を、キングはいつも測りかねる。
あまりにも毒気無く彼がそう云うものだから、彼女は真意を問い詰め損ねる。いつも、いつも。
その機を逸する度にキングは落胆し、それなのに、すこし安心する。
キングは改めてリョウの顔を見やる。少し酔った様子の彼は、相変わらず裏表の無い、人のいい笑顔を浮かべている。裏表どころか、下心すら見当たらない。

──どういうつもりで言ってるんだか。

キングは、友人の言葉に思わず苦笑した。リョウはキングの複雑な心のうちには気づかず、言葉を重ねる。
「ところで、ジャンはその…GCSEが終わったらどうするんだ」
「結果次第だけど、本人は大学に行きたいみたい。奨学金が許せば大学院まで。プログラミングがやりたいんだって」
「理系なんだな」
「私と違って賢いのさ。姉弟だけど頭の出来はまるで違うよ」
特に自虐の感情も込めずに、思っていることをそのまま言ったのだが、リョウが柔らかく口を挟んだ。
「キングだって、山のようなカクテルのレシピを覚えてるじゃないか。店の経営だって。賢くないと務まらないだろ」
バーカウンターの後ろの棚にずらりと並ぶ酒瓶を見やりながら、リョウはそんなことを言う。
「カクテルはそれこそ、星の数ほどあるけど、レシピを丸暗記してるわけじゃないからね……」
「そうなのか?」
「そうよ。基本を覚えておけばね」
キングは言い、立ち上がる。
カウンターの奥に回って、リョウの目の前に厚手の紙製のコースターを置いた。看板と同じフォントで「illusion」と刷り込んである洒脱な代物である。イリュージョンの備品は、細かいものに至るまで、いちいち趣味が良かった。
キングは、背後のカウンターから手慣れた様子で酒瓶を数本手に取り、背の高いグラスにリキュールを注いで行く。その洗練された仕草を、リョウはスコッチを傾けながら見つめた。
程なく、グラスの上の方は青く、下の方はオレンジ色と、美しく色を変化させたカクテルがリョウの前に置かれた。
「どうぞ」
「これは何て言うカクテル?」
「“無敵の龍インビンシブルドラゴン”」
「そんなのあるのか?」
己の二つ名と同じ名前を告げられ、リョウは青い瞳を瞬かせた。
酒場の女主人は唇の端に笑みを浮かべる。
「今、作った」
リョウは合点が入ったように頷く。
「『基本を覚えておけば』、こういうことができるんだな」
「そういうこと」
リョウは手を伸ばしてグラスを手に取り、カクテルを口に含む。
「これは…何ベース?」
「日本の焼酎」
「何でもあるんだな、お前の店」
「まあね」
リョウはグラスを掲げて、そのブルーとオレンジが織りなす玄妙なグラデーションを覗き込む。ブルーキュラソーが染める青は、彼の瞳の色とほとんど同じで、オレンジジュースとグレナデンシロップが描く橙色は言わずもがな、彼の愛用する道着の色だったし、彼の髪の色にも見えた。リョウはしばらく“無敵の龍インビンシブルドラゴン”をめつすがめつした後で、笑顔を浮かべながらキングに向き直った。
「これ、看板メニューにしたらどうだ。きっと人気が出る」
「……考えとくわ」
キングは軽く頷く。
だが、リョウの提案は、きっと不採用だ。
なぜなら、キングはそれを、スペシャルな客のためのスペシャルレシピにするつもりだからだ。客本人にも、それは打ち明けずに。

「気が向いたらまた、作ってあげる」

美しき女主人は、ワイングラスを傾けながら、機嫌良く笑った。
ロンドンの夜は、まだ始まったばかりである。

fin.

 


2022.2.14 pixivにて初出
外付けHDから発掘した、昔個人サイトでちょこっとだけ公開してたかもしれない(最早記憶がうっすらしてしまって公開してたか非公開だったか忘れてしまいました。クソ下手くそな絵と一緒に出してて居た堪れなくて公開を止めたような記憶が無きにしもあらずです)超短いテキストを、どうしようかなと思いながら放ったらかしていたのですが、昨日思い浮かんだカクテルネタの妄想と良い具合に繋がったので短いお話にしてみました。友達以上恋人未満的な良い雰囲気になってる気がします。時系列的には「His word is his bond.」というお話の2年くらい前のお話です。
途中のリョウのセリフでいきなり英単語が出てきますが、KOF15の英語版チームストーリーからどうしても使ってみたかったので無理やり登場させました。
そしてカクテルはあまり詳しくないので、お話の中の描写は付け焼き刃です。もし間違ったところがあれば教えてください!こっそりと!