操舵室からは、ライアンとユージンが交わす声が聞こえてくる。その会話も至極ノンビリとしたもので、彼女たちが助っ人に出る場面もやってきそうになかった。
「いい天気。風も気持ちいい」
踊り娘が、しなやかな肢体を寝椅子の上で伸ばす。手足がすらりと長い彼女のその姿は、まるで優美な黒豹のようである。
姫も相槌を打った。
「風が涼しくなってきたね」
「もう北西大陸に近い。季節風も北の海を渡って来よりますからな」
二人の傍らで、こちらは座椅子に座って読書をしていたブライが云った。その傍らで彼らに同行したばかりのパノンも、ゆったりと椅子に腰掛けてくつろいでいる。
「北国スタンシアラからの強行軍では、モンバーバラの暑さは応えたでしょう」
「さすがに爺の体には厳しかったのう」
「でも、モンバーバラは楽しかったわ!」
二人の会話に、アリーナが加わる。
「花も、鳥も、見たことの無いような綺麗な色をしていたし、食べ物もとても美味しかった」
「それは良かった」
パノンが如才なく笑う。
「ところで、マーニャ」
アリーナが傍らの踊り娘を見た。 「モンバーバラで、皆と一緒にゴハン食べに行かなかったじゃない? 何処に行ってたの?」
「内緒」
マーニャは悪戯っぽく笑う。珊瑚の粉を刷いた唇が、下弦の月の形になる。
「トルネコさんがね、“いい人に会ってるんじゃないですか”って云ってたけど、やっぱりそうなの?」
姫は好奇心をむき出しにして尋ねる。
「これ姫さま、はしたないですぞ」
老魔法使いがたしなめるが、勿論姫が聞く耳を持つはずも無い。
「内緒♡」
アリーナの突っ込んだ質問にも、マーニャは優雅に笑って答え、鉄扇をひらめかせた。
「えーっ。やっぱり、ムカシノコイビトと会ってたんでしょ!」
「我々と飲んでたんですよ。どんちゃん騒ぎでね」
と、パノンが笑った。
「ちょっとパノン! 折角勿体つけたのに、バラさないでよ!」
「なんだ、そっかー。がーっかり」
「ご期待に添えないで悪かったわね」
マーニャは唇を尖らせる。
「ははは。でも久々に、マーニャの踊りも見れたし、楽しかったですよ」
「マーニャの踊りって、綺麗よね。わたしも大好き」
アリーナは寝椅子から身を起こし、踊り娘のまねをした。
「わたしも身体は柔らかいと思うんだけど、マーニャみたいに踊れないの」
「あたしの踊りは恋を踊ってるのよ。お姫さまにはまだまだ早いわ」
「子ども扱いしないでよね」
アリーナは、ぷっとふくれた。
マーニャはそんな年下の少女を、目を細めて見る。
「彼女の踊りは、なんて云うか、技術だけじゃないんですよ。何だろう、やっぱり感性なのかな? 特に恋する少女を踊らせたら、彼女の右に出る人はいませんよ」
「ま、そう云うこと。わかった? 子猫姫ちゃん」
「何それ、子ども扱いしないでってば! わたしだって、もう18なんだから」
アリーナの機嫌が益々下降した、そのとき、操舵席からユージンが顔を出した。
「ブライ! ちょっと、一緒に海図を見てくれないか」
「なんじゃおぬしら、また迷ったんか」
「そうじゃないけど、風向きがころころ変わるから、ややっこしいんだ」
「今行くわい。姫さま、ご一同、ちょいと失礼いたしますぞ」
ブライは、よっこらしょ、と大儀そうな掛け声と共に椅子を立ち上がり、甲板から操舵室へ向かった。また戻ってくるつもりらしく、読みさしの本は置きっぱなしだ。
立ち去るブライの後姿を見送ったあと、アリーナがため息をついた。
「わたしってそんなに子どもっぽい? こう見えてもユージンより年上なのよ」
「見た目は年相応よ。問題は中身よね」
マーニャが情け容赦なく云う。
「ま、あんたもお姫さまなのにこんなとこほっつき歩いて、魔物退治して、世の中の他のお姫さまよりは頑張ってると思うけど、何て云うか、色気が足りないのよ」
「悪かったわね」
アリーナが口を尖らせた。
「でも、皆、恋とかレンアイとか、すぐ云うけど、わたしにはよく解らないの。サントハイムにいた頃にはお見合いみたいなこともさせられたわ。でも、相手の方から、わたしみたいなおてんばは願い下げって云われちゃったし」
「恋はある日、雷撃のように降ってくるものですよ」
パノンが歌うように云った。
「あるときは、幼馴染の間柄に。あるときは仕事場の仲間に。あるときは、親子ほど歳の離れた男女にだって。そうしたら最後、お互い無しではいられない、寝ても冷めても目の前に浮かぶのはあの人の面影ばかり、そんなことになるのですよ」
「ふうん」
アリーナは小首をかしげた。なにやらピンと来ない風情である。
「マーニャは恋したことある?」
「そりゃあね」
マーニャは再び、鉄扇をひらめかせた。扇にはめ込まれた輝石が、太陽の光に反射してきらめく。
「ミネアも?」
「あるんじゃないの、よくわかんないけど」
「他のみんなも?」
「そりゃ、あるんじゃない?」
「ふうん」
アリーナはまた、首をかしげながら唇を尖らせた。船室からミネアが上がってくる。夕食の支度を手伝ってくれ、と云われて、3人はそれに応えた。
夜の海は凪いでいる。速力は昼に比べ明らかに落ちていたが、風向きはよかった。舵が曲がらないように注視しながら、操舵室でユージンとアリーナは夜番を務めていた。
さざ波が寄せては返す海面に、丸くて白い月が浮かんで、ゆれている。満天の星空だけが、空と海の境目を示していた。
ミネアが夜番の二人に、と差し入れてくれたサンドイッチをつまみながら、二人はぽつぽつと会話を交わす。話題は自然と、スタンシアラまで同行してくれることになったパノンや、モンバーバラの街のことになった。
「パノンとはもう、話した?」
ユージンが問う。アリーナは頷いた。
「うん、昼にね。甲板でノンビリしてたときに」
「ああ、いたね、そう云えば」
「そう云えばその時にね、」
アリーナはマーニャに子ども扱いされた話をした。ユージンは何も云わず、ただ微笑した。
「ねえ、ユージンは、恋をしたことある?」
姫は問うた。少女の好奇心をもって、無邪気に。
ユージンはしばし黙し、首をかしげた。
かの人の面影がよぎった。
「名前は、シンシアって云うんだ。僕の村で、一緒に育った」
「それじゃ・・・・・・」
アリーナの表情がこわばる。
「うん」 ユージンは頷く。「魔物に殺されてしまった」
アリーナは俯いた。
「ごめんなさい。ユージン」
「いいんだ」
ユージンは首を振り、ミネアがサンドイッチと一緒に差し入れてくれたコーヒーを飲んだ。
「小さな頃からずっと一緒にいたんだ。何をするにも一緒でね。僕よりも馬や牛のあしらいが巧かったな。薔薇石英みたいな髪の色をしていて、とても綺麗な女の子だったよ」
「ずっと一緒にいたの? 小さな頃から?」
「うん、ずっと」
そんな人を喪ったユージンの哀しみは、いかばかりか。アリーナはその気持ちを思いやって、項垂れた。無粋な質問をしたことを、後悔した。
「そう云えば、アリーナとクリフトもずっと一緒にいたんだよね」
ユージンが思い出したように尋ねた。
「うん。クリフトのお母さまがわたしの乳母をしていたの。その縁で、ずっとわたしの遊び相手をしてくれていたわ。クリフトが学校を出て、神官になってからは、家庭教師を。……小さな頃から一緒だったって云ったら、ブライもだけど」
「ブライは、アリーナが子どもの頃から、おじいさんだっただろ」
ユージンが笑う。そうやって考えると、アリーナの友人と云うべき存在は、こうやって皆と行動を共にするまでは、クリフトくらいしかいないのだった。
「僕とシンシアもそんな感じだった。他に同じ年頃の子が村にはいなかったんだ。だからいつも二人で遊んだり、勉強したりしてた。まあ、シンシアはお姫さまじゃないいけど」
ユージンは、少し落ち込んだ様子のアリーナに、サンドイッチを勧めた。アリーナは「ありがとう」とそれを受け取り、口に運んだ。
「でも、クリフトは真面目だね。そんなに小さな頃から一緒だったのに、アリーナに対して凄く丁寧だし、優しいし」
「えっ、そう?」
「うん。僕は、シンシアとよく喧嘩したし、憎まれ口も叩いたから」
アリーナは、しばし夜空を見つめて、昔のことを思い出した。
「小さな頃は、わたしが我侭だったら、クリフトも堪忍袋の緒が切れて、大喧嘩したこともあったわ。引っかき瑕作ったり、泣いたり泣かせたり、よくしていたのよ。いつだったかな? クリフトが王立学院に通いだしたくらいからかな? あんまり、そう云う感じじゃなくなっちゃった。クリフトが神官になってお城に勤めだしてからは、お小言はしょっちゅうだったけど、本気で私に怒ったり、喧嘩したり、そんなことしたことない」
「ふうん」
ユージンは何となく、アリーナの言葉が腑に落ちないようだった。アリーナもまた、そうだった。異性の幼馴染がいたと云う共通点だけはあるが、関わり方は全く異なっているようだ。
「僕はてっきり、ふたりが幼馴染だって聞いていたから、ふたりは恋人同士なのかと思ってた」
「えっ!?」
アリーナは、予想だにしなかった少年の言葉に、思わずサンドイッチを取り落としそうになった。頬がかあっと紅潮した。
「ち、違うわ! そんなんじゃないわ」
「うん、そうみたいだね」
姫の動揺に気づいているのか、いないのか。ユージンはサンドイッチの最後の一片をのんびりと口に運び、コーヒーで流し込んだ。
「クリフトは、そんなんじゃないわ。勿論、すごく頼りにしてるけど。でも、恋人じゃないわ。だいいちクリフトが、わたしのことそんな風に思って無いもの。オシゴトだと思ってるのよ」
「そうかなあ? 仕事じゃあんな風には出来ないよ。アリーナのことすごく大切そうじゃないか」
「そ、そうかしら」
「そうだよ! きみだけいつも特別扱いじゃないか」
夜気に隠され、月明かりの影になってユージンからは見えないが、アリーナの顔は真っ赤になっていた。
「ブライもそうだけど。きみ、ふたりからすごく大切にされてるよね。ふたりとも仕事だからじゃなくて、きみだから一緒にいるんだと思うよ」
「うん」
アリーナは頷いた。ブライの名前が出てきて、何故かほっとした。
しばし、沈黙が操舵室に満ちた。
初秋の星空が眼前に広がり、瞬きを繰り返している。枡形星や、銀河、目に飛び込んでくる星たちを、ふたりは黙って眺めた。
アリーナは、先ほどの自分の軽率さに少し悄然としていた。小さな頃から、世界にひとりだけの大切な人として、想いを育んできた人を奪われる哀しみ。それは想像もつかないことだった。サントハイムの皆は、絶対まだこの世のどこかにいる、そう信じるがゆえに、喪失の哀しみはアリーナの中にはなかったから。
ふと、自分だったらどうだろう、と考えた。一緒にずっと育ってきた大切な人が死んでしまったら。ミントスでクリフトが病に倒れたときの、絶望にも似た混乱を思い返した。
胸が締め付けられるように苦しくなった。喉もとがカッと熱くなって、鼻の奥がツンとする。クリフトがもし、死んでしまったら。想像するだけで、哀しみが心に満ちた。
パノンの言葉が不意に浮かんだ。“お互い無しではいられない、寝ても冷めても目の前に浮かぶのはあの人の面影ばかり、そんなことになるのですよ”。
(なんだろ、この気持ち)
アリーナは襲い掛かる哀しみを必死で堪えながら自問する。
月光だけが、少女の物思いを見つめている。
個人サイトから移管したドラクエ4クリアリ小説です。2008-09年ごろ初出。2021年5月にpixivに掲載。
以下は更新時のブログより。
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アリーナが恋に目覚める話を書こうとしたのです。
とりあえず早くクリフトの一人相撲から脱却したい、と言うことで。
で、色々こねくり回して、「星空の密談」が出来ました。
本当はミチビカレシモノタチがモンバーバラであんなことこんなこと、なお話のはずでしたが、力及ばず、シンプルな話になりました。がっくり。なのでパノンが出てきています。
マーニャにうまく絡む人を出したかったので、パノンの存在は助かりました。