酔って狂乱、醒めて後悔。

白麦酒ヴァイツェン、牛肉の煮込みラグー、七面鳥のサラダ、豚肉の腸詰、鰊の塩漬け、前菜やつまみ。食卓テーブルからあふれそうな程の、スタンシアラの郷土料理が並べられている。もっとも、その美味なる食物の数々は、おおかたが冒険者たちの腹の中に納まってしまってはいたが。
夜半もかなりを過ぎた酒場には、いまだ多くの人々が寄り集まって酒と共に夕餉を食んでいる。スタンシアラいちの規模と主人が豪語しただけあって、奥行きも天井高もたっぷりとある其処には、スタンシアラ語の笑い声や怒鳴り声、給仕たちの掛け声が飛び交っている。
いや、スタンシアラ語だけではなく、大陸の公用語も、勿論聞こえてくる。
いい、歌声が。
「今はただひと~り~、過ぎし日しのべ~ば~、砕ける波音~、寂しく響く~」
歌劇もかくやと云わんばかりの美声で朗々と唄うのは、太っちょの武器商人である。先ほどからずっとこの調子で、周囲の見知らぬ客からヤンヤヤンヤの歓声を浴びていた。大陸から離れた島国で、異国人と云うだけでも中々珍しいのに、至極愛想のよい男が上手に歌を唄うのである。受けないわけが無い。
そうは云っても、彼の仲間たちがこの歌を耳にした回数は、もう両手に余る。
「いよっ、巧いぞ。天才っ。この太っちょ」
酔眼の老魔法使いが、トルネコを見やりながら投げやりに手を叩く。
その傍らでは、王宮戦士と神官、そして拝領したばかりの天空の兜を身に着けた勇者が、給仕を呼び止めていた。
「お姉さん、こっち、同じの持って来て!」
「ユージン、おれも頼む」
「わたくしのぶんも」
「じゃあ、おなじの、みっつ!」
モンバーバラの天才芸人のおかげで、首尾よく伝説の兜を手に入れた一行である。パノンへのお礼と称して、打ち上げが始まったのが、スタンシアラの水路を夕陽が染め上げた刻限。意外と酒に弱かったパノンと、「お肌に悪いから」と云う至極まともな言葉と共に女性陣が退場してから早数刻。何やら「今日は飲みたい気分」だった男どもが居残って、延々と酒盛りを続けているのだった。
「うん、この魚は中々旨い。何と云ったかな」
ライアンが塩漬けの魚に舌鼓を打つ。すっかり頬が上気したクリフトが答えた。
「鰊ですよ、ライアンさん」
「鰊か。バトランドでも採れるな。祖国では油漬けにして冬越しの食料にするのだが」
「同じ海に面してますからね」
「旨いは旨いが、バトランドの鮭の方が旨いな。ユージンはバトランドの鮭を食べたことがあるか?」
問われて、ライアンの隣でマッシュポテトをバゲットに塗っていたユージンが顔を上げた。
「バトランドのは、無いな」
「何、無いと云うか。なんと勿体無い。バトランドの鮭と云えばおぬし、世界三大珍味だぞ」
「そうなの?」
「嘘ですよ。ライアンさん、酔っ払ってますね」
ユージンの隣に座っていたクリフトが割って入った。
「世界三大珍味は、ええと何だったっけ、ソレッタのパデキア」
「それは妙薬じゃろうが、たわけ」
老師が手にした理力の杖で、神官の頭を小突く。
「いたっ! 痛いじゃないですか、ブライさま」
「この杖を振るうごとに儂とて気疲れするんじゃ。にも関わらず、阿呆な儒子こぞうを戒めておるのじゃ。親心と受け止めい! 喝!」
「痛い!」
「で、ユージン、この魚は何と云ったかな」
「鰊だよ、ライアン。……あ、来た来た。おねえさん、こっちとこっちとこっちにください」
生粋のスタンシアラっ子らしい、白皙の肌に金髪、碧眼の女性給仕が、軽やかに彼らにジョッキを手渡していく。
もう、今日何回目になったか解らない乾杯を、3人の男たちは交わした。
「しかしこの白麦酒とやらは非常に旨い」
ライアンがしげしげとジョッキを眺めながら云う。彼は酒豪である。仲間たちが1杯飲む間に、彼は3杯飲む。それでいてけろりとしているのである。だが、さすがに今日は酔っているようだ。
「本当に美味しいですねえ」
クリフトも頷いた。サントハイムに居たころは下戸だったが、旅の道で仲間たちに鍛えられ、今ではそこそこ酒が飲める。マスタードラゴンは、酒を愛する聖職者には罰を与え賜わぬのである。ただ、彼自身自制しているので、ここまで深酒している神官を見るのは、みな始めてのことだった。
「えっと、世界三大珍味は何でしたっけねえ?」
「爺の髭、でぶの腹肉、乙女の涙じゃ」
「なんですか、それ。全部美味しくなさそうです」
「世界三大美女なんてのもありますよ!」
さすがに唄い疲れたのか、トルネコが戻ってきた。彼もまた、酒豪である。飲むといつも以上に明るくなる。そして、唄う。
「伝説の巫女姫アンジェリーカ、哀しみの王女モードリン、魅惑の人妻エマニュエル。最後のエマニュエルには歌もあるくらいですよ。一曲行きたいところですが、ちょっと一休み」
「もう歌わんでええわい」
「ユージン、この、鴨肉の塩漬けマリネが旨そうではないか?」
「頼もうか?」
品書アラカルトを手にしたライアンに促されて、ユージンは手を挙げた。少年も本格的に酒を覚えたのは、冒険者たちと旅を共にするようになってからだった。かなりの酒量を飲んでいるはずだが、頬の端がうっすら上気しているほかは、いつもと変わりない。年かさの男たちは、「実はユージンがいちばんの酒豪なのではないか」と、酒を飲むたびに言い合っている。
「美女と云えば、スタンシアラの女性は美しいのう」
ブライが云う。確かに、スタンシアラの人々には美男美女が多かった。みな身長が非常に高く、だいたいの者が、濃淡に差はあれど金髪で、青い瞳を持ち、立体感のある、彫刻的な顔立ちをしていた。サントハイム王国に古くから住まう人々にも通じるものがある容姿だったが、サントハイム人のほうがばらつきがある。やはり、スタンシアラは島国なのだ。
「いや、うちの奥さんの方が綺麗ですよ」
と、トルネコが云った。
「ご馳走様です。しかし、わたくしどものアリーナさまの方がおきれいです」
クリフトがトルネコに真正面から挑みかかる。彼の目は据わっている。
武器商人も妻帯者の意地、負けじと云い返した。
「そりゃ、お姫さまに比べたら負けますけどね。うちのネネは、もういい年なのに、はつらつとしていて可愛いんですよ」
「姫さまは、高貴で在らせられるから可愛いのではないのです。杏みたいな唇、星空のような瞳、あんなに可愛らしい方は何処を探してもいらっしゃいません!」
「あんまり姫さま姫さま連呼するでない、阿呆が」
「痛い! ブライさま、先ほどからわたくしのことを小突き過ぎです! その尖がったところが痛いですよ、それ。大体ですね、云わせていただきますが、ブライさまはわたくしに対して諸々度が過ぎます!」
酒の勢いと云うのは恐ろしい。クリフトが正面切って、ブライにそう云った。
老師は、すっと目を眇める。口元には、毒を含んだ笑みが浮かんでいる。
「ほほう、云うたな、ヒヨッコが。何が度が過ぎると云うんじゃ、云うてみい」
「ブライさまは確かにサントハイムの大長老。たかが王宮教会の助祭ふぜいのわたくしにしてみれば雲の上のようなおかたです。けれどもそれは城の中でのこと。今この旅の途上で、わたくしのことをコゾウだヒヨコだワッパだと、余りの仰りようではないですか! 今度からスカラかけませんよ!」
「ヒヨッコをヒヨッコと云うて何が悪いか。大体な、度を越しとると云うのなら、おぬしの姫さまへの態度の方が度を越しとるわ」
「ななななな何を仰いますか! わたくしの何処が越権と仰るんですか!」
「おぬしな、最近姫さまがお優しいからと云うて、少し調子に乗り過ぎじゃ! 姫さまはどなたにでも公平でお優しいお方。その好意を何かと勘違いしとるんじゃないのか、ああん?」
「なななななななな何と勘違いしてると、おお仰りますか! わわわわたくしは、そんな、そんな」
「ああ、青臭い青臭い。おぬしと話しとると、青いにおいがくっ付くわ」
「その云い様があんまりだと申し上げているのです!」
口角に泡を溜めてつばぜり合いを始めた師弟を眺めながら、ユージンとライアンは運ばれて来た料理を食べた。ひんやりとした酸味の効いた肉が旨い。
「旨いね、これ」
「うむ、旨い。ところでユージン、これは何の肉だったかな」
「鴨だってば」
「さっきの」
「魚は鰊」
「うむ」
ライアンは、ジョッキを傾ける。先ほど運ばれてきたそれは、もうあらかた空になっている。
ふと見ると、トルネコは椅子の上でうつらうつらと舟を漕いでいる。
「トルネコ、すっかり寝ちゃったなあ」
「まあ、いつものことだ。そのうち起きる」
「まあ、そうか」
戦士は、改めて勇者を見た。白金の兜をかぶった彼は、いつもと全く変わった様子が無い。
「おぬし、酔っとらんのか」
「いや、酔ってる。周りがふわふわしてるよ」
「そうは見えぬな」
「実は、腰が抜けて、立てない」
「……それは大変だな」
ライアンは、ジョッキを飲み干した。手を挙げて、給仕を呼び止める。
「ああ、そこのご婦人。同じものをもうひとつ頼む」
「僕にもください」
「ところで、ユージン。おぬしな、右に切り結ぶとき、腹ががら空きになるだろう」
「えっ、全然気がつかなかった」
「聡い魔物なら、懐に飛び込んでくるぞ」
「そうだね。気をつける」
「稽古するか?」
「よろしく頼むよ」
「うむ」
歴戦の戦士は、重々しく頷く。
「では、行くか」
「……今から?」
「……今からは、無理だな」
ライアンの目も、据わっている。
彼らの目の前に、白麦酒のジョッキが置かれた。二人は黙って、全く同じタイミングで、ジョッキを傾けた。
「もうね、マヌーサ唱えますよ、本当に」
「おぬしのその黄色い嘴を、マホトーンで封じ込めるのが先じゃわい」
ぶつぶつ云いながら、師弟は舌戦を小休止させる。
「まあまあ老師、お飲みなされよ」
ライアンがブライに酒を勧めた。
「なんじゃ、トルネコはもう寝よったのか。こんな五月蝿いところでよく眠れるのう」
云いながら、ジョッキを口に運ぶ。
「命の水じゃのう」
至福の表情で、そうひとりごちた。
「まこと、酒は人生の友ですな」
「“女と酒と歌を愛さない者は、一生の間阿呆のままだ”と云ったのは、この国の詩人じゃったな」
ユージンがへえ、と感嘆する。
「そんな言葉があるんだ」
「そうじゃとも。のう少年。酒と女と歌、これは人生には無くてはならないものじゃ。そなたは過酷な星のもとに生まれ、若くして苦難の道を歩んでおる。だが、酒と女と歌、これだけはそなたを味方してくれよう」
「うん」
解ったような、解らないような、曖昧な顔でユージンは頷いた。
「特にな、女はいいぞ。男にとって女は永遠の神秘。開いても開いても終わりの見えぬからくり箱じゃ。あの笑み、あの柔肌、あの声。我々の人生が豊かになるも貧しくなるも、全て女次第」
ブライは唄うように語る。少年は老獪なる先達の言葉を、酩酊の中で聞いた。酩酊の先に、少年にとってたった一人の女が笑みを浮かべている。
「その神秘の一端をご披露くださいませよ、老師」
ライアンが笑う。
「何の何の。全ては一期の泡沫じゃ。そなたの武勇伝のほうが面白そうじゃわい」
魔法使いの切り返しに、戦士はいやいや、と首を振った。
「ただ剣を振るうが能の男には、血なまぐさい武勇伝の他に何もありはしませんよ」
ユージンは不図思った。ここに共に在り、酒を酌み交わしている彼らにも、それまでの道筋があったと云うこと。たとえば、ライアンはもう、10年にわたる長きの流離を続けていると云う。そんな彼が旅の向こうに置き去りにしてきたものは、何なのだろう。温かき家族のてのひら? 篤実な友? 祖国での栄達?
それを捨ててライアンはここに居る。ユージンに出会うために。
ライアンだけではない。トルネコも、武器屋と云う生業の枠を飛び超え、家族を置いてここにいる。クリフトも、ブライも。自分に出会うために、自分を探すために、当ての無い旅路を歩んできた。そして、出会った。
そんなことをつらつらと、酒精アルコールでひたひたになった脳髄の隅っこで考える。
「ユージン、こんな処で寝ては風邪をひきますよ」
いつの間にか半目になって、今まさに夢の泉に飛び込まんとしていた少年の肩を、クリフトが優しく叩く。
「あっ」
ユージンは身を起こす。だが、まぶたがとても重い。
「うん」
少年は必死で睡魔に抗う。
「自分で自分にザメハを唱えたら、どうなるんだろう……」
「わたくしも自分にマヌーサを唱えたことが無いので、わかりません」
クリフトは、半分寝かかりながらむにゃむにゃと云うユージンの言葉に、思わず笑いを誘われた。
潮目と見たか、ブライが口を開いた。
「そろそろお開きにするとするか」
「そうですね。すみませーん」
クリフトは手を挙げて、会計を言付けた。
「トルネコ、起きてくれ。さすがのおれでも、おぬしは背負えぬ」
ライアンに背中を叩かれ、武器屋は目を覚ました。こちらは十分寝たと見えて、ややすっきりとした顔をしている。
「……また寝ちゃいましたか、私。おや、ユージンさんまで」
「こっちは今寝たばかりだ。おれが背負って行くよ」

初秋の北国の夜風は、思いのほか涼しかった。
王都の繁華街にはまだ灯りがともり、人々が歌を唄ったりステップを踏んだり、陽気に酔いながら歩いている。その雑踏に、異邦人の彼らもまぎれた。
「いや、飲んだ飲んだ」
「美味しかったですねえ、スタンシアラ料理」
「エンドールで店でも開けば、繁盛するでしょうな」
仲間たちがそんな会話を交わしながら歩く。酔いの所為か、少し大きな声で。
その声を心地よく聴きながら、眠りと覚醒の狭間を行き来しながら、ユージンはライアンの背中に揺られている。
「ライアン、すまない」
「何、気に病むな」
「ライアン」
「なんだ」
「みんな、旅をしていて、怪我したり、病気になったり、汚いところで野宿したり」
「うむ」
「そんなおもいを、たくさんしているのに……全然弱音をはかなくて……ぼくは……」
ユージンの声が、眠りに引きずられていく。
「みんな、明るくて、優しいから……ぼくは……」
「もう寝ろ、ユージン」
ライアンの声が苦笑を含んでいる。おまえの云いたいことはわかっている、そんな口調だった。
「見てくださいブライさま。北斗星がきれいです」
少し少年めいた声で、クリフトが云った。ブライも白髭をしごきながら、天を見上げる。
「北国だからか、何やら間近に見えるのう」
その言葉に、ユージンは顔を上げて空を見た。少年の視界は酔いでくるくると回っていたが、北斗星のしんとした輝きはすとんと彼の心に落ちてきた。
そして、今度こそ少年は眠りに落ちる。
「ああ、ユージン、本当に寝てしまいましたね」
息子に向けるような笑顔で、トルネコが笑った。

「……で、300ゴールドも使っちゃったんですね。一晩の宿代が、56ゴールドのこの国で」
美貌の占い師が、二日酔いに悩まされる男たちに柳眉を潜めたのは、また別のお話。

 

 


2008から2009年ごろ個人サイトで初出。2021年5月にpixivで公開。以下は当時の更新報告のブログから。

DQ4にテキスト新作追加です。
飲んで飲まれて飲まれて飲んで。男性陣の酒飲み話でございます。

わたくし自身もお酒は大好きです。
きっと導かれし者たちも大好きだと思います。
そんなおはなしです。

スタンシアラは自分の中ではドイツがモデルです。
お料理なんかにドイツの風味を出しました。
自分妄想裏設定では、スタンシアラ土着の神様はゲルマン神話がモデルだったり。

ちなみにサントハイムのモデルはスウェーデンだったり。
自分妄想裏設定のサントハイムのナショナルカラーや王家の紋章のアイデアをお借りしてます。あとフルネームとかですね。いろいろ。

ちょっと脱線しましたが、新しい作品もお楽しみいただければ幸いです。