「憎いか。憎いだろう」
ユージンは剣の柄に手をやった。カチリという音がして、鞘から天空の剣が解き放たれる。聖なる剣が白々と輝いた。
「ピサロ。ぼくはおまえを許すことが出来ない」
「そうだろうとも」
ピサロは云う。
「愛するものを殺される苦しみ、このピサロにも解らぬでもない。心無い無法者に向ける憎しみ、このピサロにはよぅく解る。貴様が私を恨み、憎みきっているのを、このピサロは知っている」
魔王もまた、剣を鞘から放った。細い、わずかに湾曲した剣が、かすかな鍔鳴りと共に外気に滑り出る。刃にはピサロの瞳と同じ色の宝石が幾つも嵌め込まれ、それはまるで彼本人の意思であるかのようにぬめり、光っていた。彼の長身から、恐ろしいほどの瘴気が巻き上がる。銀の糸のような彼の髪が、風も無いのに大きくはためいた。
天には叢雲が立ち込めつつあった。ピサロが呼んだものに違いなかった。
「来い」
ユージンは、天空の剣を正眼に構えた。
この目の前の男。あの日、故郷を滅ぼした、魔族の王。
──殺す。
ユージンの瞳が、まるで青い雷鳴のように燃えた。彼の蓬髪もまた、彼自身が発する殺気で逆立ち、意志をもってざわめいた。ユージンの全身に力がみなぎり、それは一点に向けて収束を始めた。暗雲垂れ込める空に稲妻が走る。少年の召喚を待ちわびる雷神が、待ちきれないかのように、空中に唸り声を轟かせた。
ふたりの間の空気は互いの殺気と瘴気を取り込んで圧縮していく。
見守る仲間たちは止める術を持たない。彼らの肌には鳥肌が立っている。心臓が早鐘を打ち、本能が逃げろと告げる。歴戦のつわものたちは、萎えそうになる心を奮い立たせ、そこに立ち尽くすので精一杯であった。
少年の碧空の瞳と、魔王の血色の瞳が、交わる。視線が擦れあって軋み、縺れ、火花を散らせそうなほどに絡み合う。お互いの一瞬の隙を、彼らは全身で探っている。
天候の変化に怯えた野鳥が、金切り声を上げた。
対峙したふたりの剣士が、動いた。
剣と剣が激しくぶつかり、轟音を立てた。一合、二合、彼らの剣は撃ち合う。
更に数合。
剣士たちに隙は無く、その剣戟がいつ果てるのか、仲間たちには予想もつかなかった。
だが、少年は、焦れた。
「イヤアアッ!」
ユージンが裂帛の気合と共に、上段からの一撃を放った。
「いかん、ユージン!」
ライアンが身を乗り出す。
天空の雷神が咆哮するのと同時に、ふたりの間にも稲妻が走った。次の瞬間、ユージンの手から天空の剣が離れ、空中で何回転もして、大地に突き刺さった。
「ユージン!」
誰かが叫ぶ。勇者の喉元には魔王の細剣の切っ先が突きつけられている。勇者はそれでも、爛々と目を光らせてピサロを凝視している。
ピサロの腕が力を抜いた。彼は身体のわきにだらりと剣をぶらさげ、すぐに鞘に収めた。
「勝負はついた」
冷徹な声で彼は告げた。
ユージンの身体にみなぎる殺気は、それでも治まらない。彼はピサロを見据えたままだった。
ただただ、彼の目の前にはピサロがおり、ピサロしかいなかった。世界はピサロに包括され、その他の全ては暗渠であった。ユージンは全身で彼をとらえ、屠ろうとしていた。
猟犬のようにユージンが跳ねた。魔王はその俊敏な動きに一瞬怯む。ユージンとピサロはもつれあって草原に倒れこむ。少年の拳が、ピサロの白皙の顔をとらえた。鈍い音がして、彼の頬は見る間に赤くなった。
「……この、往生際の悪い餓鬼め!」
ピサロの血色の瞳にも怒りの色が迸る。魔王の拳が少年の顔を殴りつけ、一瞬身体から力の抜けた少年に魔王は馬乗りになる。激しくもがく手足を押さえつけようとしたが、少年が渾身の力でもってピサロを撥ね返した。ユージンは猫のように体勢を整え、すぐさま魔王に飛び掛る。再び、少年の拳が魔王を幾度か掠めた。
雷鳴がひときわ大きく響く。草原がサアッという音を立てた。大粒の雨が降り出したのだ。
「うわあああああっ」
叫びながらユージンはピサロを殴りつけた。幾度かは手ごたえがあり、幾度かは掠った。「この童が!」と云うピサロの怒声と共に、ユージンも頭がくらくらするような打撃を幾度も蒙った。けれども少年は心底諦めなかった。喉元に食らいつき、喉笛を噛み千切ってやる。まさに狼のように、ユージンは牙を剥いた。
「殺してやる! 殺してやる!」
少年の掠れた喉から、凄絶な呪いの言葉が迸る。ユージンの瞳からは涙が溢れ、唇や鼻からは血が流れていた。
「ピサロ、殺してやる! ピサロ!」
少年は狂ったようにピサロの名を呼んだ。まるでそれが愛しいものであるかのように。ピサロの胸倉をつかみ、ユージンは絶叫した。
「お前を殺してやる! 絶対にだ! ピサロ、いや、デスピサロ! 禍々しいその名を、ぼくは、ただの一日だって忘れたことは無い!」
そして腕を振り上げた、その瞬間、ユージンの身体が浮いた。ピサロが彼を突き飛ばしたのだ。
草原に叩きつけられ、息が止まりかけた。それでもユージンはまだ立ち上がろうとした。
その少年の身体を、後ろから羽交い絞めにしたものがあった。ライアンだった。
「止せ、ユージン」
ライアンは鋭い、だが冷静な声で云った。
「何でだ!」
思うに任せない縛めから逃れようと、少年はもがいた。少年の瞳に新たな涙の山が浮かび、すぐに雪崩を起こした。
「止めるな! 離せ、ライアン!」
「勝負はついた。お前は撃剣で負けたではないか」
「いやだ!」 少年は駄々っ子のように泣きながら叫んだ。「いやだ、離せ、ぼくは、ぼくは……」
ユージンの喉から、血を吐くような絶叫が迸り出た。
「殺してやる!」
少年の声が残響を残してしじまに響く。そして、雨音が草原に満ちた。
先ほどからの雨は、いまや豪雨の一歩手前といったところだった。大きい雨水が彼らの身体を容赦なく打ち据えた。その幕のような雨の向こうで、ピサロが云った。
「私は貴様に殺されるわけには行かぬ。成し遂げなければならぬことがあるからだ。だが、貴様が憎しみを叩きつけてくるのなら、叩きつけてくるだけ、私は貴様と戦ってやる。何度でもかかってくるがいい、運命の子よ。このピサロは逃げはしない」
朗朗とした声で魔族の王者は云い、そして少年に対峙した。少年はもう、ライアンに抗おうとはしない。ただ、燃えるような瞳でピサロを睨みつけている。雨と滂沱の涙と、血と泥で、少年の顔はひどい有様になっていた。
ピサロは言葉を続けた。
「ここではもう満足に戦えまい。貴様の馬も心細そうだ」
云うなり、ピサロはきびすを返した。彼の言葉どおり、雨音の向こうから、パトリシアの不安げな嘶きが聞こえてくる。ユージンの身体から力が抜けた。ライアンは少年を解き放つか否か迷ったが、縛めを解いて少年の手を引き、立ち上がらせた。噛み締められた少年の唇は、真っ青になっている。
「……すまない、みんな」
ユージンは仲間たちに向き直った。
「行こう」
ずぶぬれの仲間たちは無言で馬車に向かう。アリーナがユージンの肩に外套をかぶせてくれた。
「ありがとう」
少年は云った。アリーナは黙って少年の肩を抱いた。ユージンの身体は、ひどく震えていた。
個人サイトから移管したドラクエ4の小説です。2008-09年ごろ初出、2021年5月にpixivに掲載。
6章のお話ですのでネタバレご注意です。
以下は当時の更新報告のブログから。
—
今回もクリアリはお休みです。
前々回くらいの更新で、「勇者とピサロの相克とか文章にするの無理」的なことを書いた傍からで恐縮ですが、勇者とピサロのお話です。
6章はそれ自体、堀井さんが「本当はこうしたかった」ラストだとお聞きしました。従来のRPGには無かったお話の展開ですよね。それ自体はとても面白いことだと思いました。ゲームをしていて、私も実際ピサロを使えて面白かったです。強いし。
DS版で仲間に話しかけると、あっさりピサロを受け入れているのが逆に面白かったり。
馬車の中に魔王が座ってるとか想像するとおもしろすぐるwwww 某掲示板のネタではないですが「馬車の空気が最悪です」的な感じになるのではないかと逆にこっちが心配になってしまいますww
そんな面白さもありつつ、勇者君の心情はいかばかりか、と思うと、中々ヘビーな気持ちになります。
大切な人を殺した相手が目の前にいる、そいつと一緒に戦え、といきなり云われても、たとえば自分だったら絶対無理だなーとか、色々考えちゃうわけです。
ゲームの中のピサロのセリフとか、ロザリーのこととか、そんなのを手がかりに想像を巡らせていたのですが、なんとなく自分として「2人の間はこんな感じだったのでは」と云うようなお話が浮かんできたので、今回のお話にしてみました。
ユージンは意図して、素直で優しくて愛情を注がれて来た育ちの良い少年、と云うように描写しておりますが、そんな彼の内に秘めた激しい、醜い部分を描けてちょっと面白かったなあと云う感想です。きっと内に秘めるタイプなんです、色々。
ピサロをもっと、魔族の王者っぽく、爬虫類的な印象にしたかったかなあ。今回はわりと熱い印象になってしまいました。