ゆうずつ

アリーナが帽子を逆さにして、そこに思うさま茸を放り込んでいく。それを横合いから眺めていたユージンが、すっと手を伸ばして彼女の動きを止めた。革の手袋ごしではあるが、二人の手と手が触れ合うのを間近に見て、クリフトははっと息をのんだ。
「アリーナ、それは食べちゃだめ」
「えっ? どれ?」
アリーナは鳶色の瞳を大きく数回瞬きして、年下の友人を見る。ユージンの手がアリーナの帽子の中をまさぐり、幾つかの茸を取り出した。
「これは、毒だよ」
クリフトはふたりの傍に寄ってユージンが示した茸を見た。
「これは食用ではないのですか?」
よく食卓に供される占地茸しめじと、ユージンの掌の中のそれは、全く同じもののように、神官には見える。
「違うんだ。──見て」
勇者は別の茸を手に取り、指し示した。傘にかすれた線のような模様がある。
「この線があるものが食べられるもので、無いのは毒なんだ。種類が違うんだよ」
「そうなんだ。知らなかった。ユージン、すごいね」
アリーナの素直な賛辞に、ユージンは薄く笑ってかぶりを振る。
「小さいころ教わっただけだよ」
「でも、すごいわ。ところで、その毒茸は、間違って食べちゃったらどうなるの?」
「解らないけど──子供のころ、父さんには“絶対に食べるな”って云われたよ。きっと、大変な目に遭うと思う」
「怖いわね!」
アリーナは口ではそう云っているが、顔は笑っている。
「今度から、なんでもユージンに教えてもらうわ」
こぼれるような彼女の笑みは、ユージンに向けられている。それを傍らで見つめる神官の胸が不穏にざわめいた。それは、時折叢雲のように何処からか出でて彼を憂鬱にさせる、まぎれもない嫉妬の心だった。
“隣人を妬むな。”
竜神は常にそう諭される。
クリフトの心は更に憂鬱になった。神の御言葉にすら添えぬ己に対して。
「茸はもう、こんなもので良いんじゃないかな」
「そうね」
「日持ちする果物を探しに行こう。干してずっと取っておけるような」
「何がいいかしらね?」
「今の時期なら、無花果フィグかな……」
云いながら少年と姫は立ち上がる。二人は更に森の奥に分け入ろうと、歩みを始めた。
「クリフト、何してるの? 行こう」
主君にそう声を掛けられ、若者は我に返る。一瞬でも己の内に埋没してしまったことを羞じたか、クリフトの頬が少し上気した。
「もう! ぼーっとしないでよ」
「申し訳ございません」
と、赤面したまま青年は詫びた。
アリーナはひらりと身をひるがえすと、もはや木立の奥に消えそうなユージンの後を追って駆け始めた。ユージン、待ってよ。可愛らしい声をかけ、軽やかに彼女は勇者を追う。
その背中が遠ざかるのを、クリフトは為す術なく見つめた。ただひとこと、云えば良かった。「姫さま、ユージン、お待ちください」と。けれども、云えなかった。神官の言葉は、喉の奥に引っ掛かって、腹の底に落下していった。

大陸を南北に貫く深い森のただなかである。
ひたむきなまでにまっすぐに降り注ぐ太陽の光は、茂る葉にさえぎられ、梢から梢へと薄く拡散している。その名残は白いヴェールのように微かに辺りを覆っていた。時折、木の葉と木の葉の間を掻い潜って地表へたどり着いた幸運な光線が、地面の上で金剛石のような反照を放った。
腐葉土が幾層にも積もる足元は、まるで絨毯のようにふかふかとしている。羽の無い虫どもが土と葉の狭間でかさこそと蠢き、それを狙う小鳥が頭上から狩人のファンファーレを奏でていた。
有るか無きかのせせらぎが聞こえてくる。奥ゆかしいその流れは、しかし森を出れば音量と水量を増し、大陸を潤す大河の礎となるはずであった。今頃、少年と姫と青年の仲間たちは、その礎のほとりで魚釣りだの、沢蟹獲りだのに精を出しているはずだった。
「あんまり、果物の樹が見当たらないね。もしかしたら、無いかも知れない」
ユージンが首を上に向けながら云う。
「果物の天日干しは、長旅には持ってこいのおやつなのですが」
クリフトが云った。
「そうよね──茸は無くてもいいけど、果物はあったほうがいいものね」
アリーナは頷く。実際、野営続きの彼らには、干し果物はほとんど不可欠な糧食だった。疲労を回復してくれるし、日持ちがするので携帯しやすい。
ユージンが足を止めた。
パーシモンだ」
彼の声に見上げてみれば、橙の実がたわわに鳴った柿の木が数株、群生している。いずれも樹高は高く、手を伸ばしたくらいでは収穫できそうにない。
「干し柿、いいわね!」
アリーナが長靴ブーツをその場で脱いだ。白桃のような色味の素足があっという間に腐葉土まみれになる。
「ちょっと獲ってくる!」
アリーナはそう云うと、幹に手をかけ、するすると樹上の人になった。見ているクリフトが呆れるほどに巧みである。
「虫がついてないか、よく見てくれよ」
ユージンが姫にそう声を掛けると、自らも別の樹の下で長靴を脱ぎ捨て、こちらも何の躊躇いも感じさせない様子で木登りを始めた。
クリフトはひとり取り残された。
「すごい! いっぱい生ってる!」
アリーナの歓声が聞こえる。
「鳥が食べたのは駄目だよ!」
と、ユージンの声が答えた。解ってるわよう、と姫が応える。仲睦まじいやり取り。
クリフトは意を決した。
素足で踏みしめた大地は、靴底ごしより更に柔らかかった。何かもぞもぞとした感触は、虫たちの営みの所為だろうか。
幹に触れる。ざらついた、硬い手触り。瘤に手を掛け、思いきり蹴った。幹と枝の隙間に何とかして足をとどかせようともがくが、巧くいかない。何度か繰り返して、漸くクリフトは大地から離れることが出来た。
自分の身長よりもやや高い辺りまで上ったあたりで、彼の登攀はしばし止まった。
てのひらや足の裏が汗でじっとりと湿っているのが解る。姫と勇者はまるで獣のように樹皮と狎れ合い、我が家のように勝手知ったる様子であったのに、なぜか柿の木は己だけを受け入れてくれない。樹皮はすべり、枝や瘤は有ってほしい場所に無く、次の一手が見出せなかった。
頭上からは、アリーナとユージンの会話が降ってくる。楽しそうな、弾んだ姫の声がする。
クリフトは唇を噛んだ。また、あの云いようのない、胃の腑がむずむずするような感覚が、彼の身体のどことも知れぬ場所から湧き上がってくる。青年は首を振った。闇雲に手を伸ばし、足に力を入れた──刹那、樹皮がまるでクリフトを嘲笑うかのように彼を拒絶した。
天地が逆さまになったのと同時に、尾てい骨に重い衝撃が走り、背中を鈍い痛みが襲った。
「った──!!!」
声にならない声が唇から漏れた。
「クリフト? どうしたの?」
いつもより半音階高いアリーナの声が聞こえる。返事もできずに呻いていると、間もなく、クリフトの眼前に姫の顔が現れた。
「クリフト! 何やってるの、落ちちゃったの? 頭打った?」
心配そうにのぞきこんでくる可憐な彼女の顔で占められた視界に、ユージンがひょいと入り込んできた。
「クリフト、大丈夫か?」
「……大丈夫……です」
やや放心したまま、クリフトは答える。
「もう、木登りなんて下手なんだから、やらなくていいのに!」
「アリーナ、それは云い過ぎだと思うけど」
「だって本当だもの。小さいころから、下手っぴだったのよ!」
主君は情け容赦ない言葉を繰り出す。クリフトはそれを聞きながら、羞恥と悔恨の中で思った。これは罰だ、嫉妬の。マスタードラゴンは常に信徒を見守り給う。心を磨かず、戒律を怠った愚か者を、神が見過ごすはずが無いのだ──。
クリフトは大きくため息をついた。ひどい独り相撲、そしてひどいひどい自己嫌悪。クリフトは穴が有ったら入りたいと、これほど切に思ったことはない。むしろ、自ら穴を掘っても構わないくらいだった。

結局、地面の上でクリフトは、姫と勇者が投げてよこす柿を布袋に詰めていく受け持ちになった。なるべく傷の付いていない、それでいてほどよく熟れた、色の鮮やかな、と云う難しい条件のわりに、布袋はあっという間に橙色の果実でいっぱいになった。
「もういっぱいですよ」
神官がそう樹上に声を掛けると、ユージンが答えた。
「もう、この辺にしとこう」
「ユージン」 クリフトが続けて呼ばわる。
「何?」
「葉を何枚かとってもらえますか」
「いいけど、何に使うの?」
「薬草にするんです。出来れば上の方の、若い葉が良いのですが」
「わかった」
少年は首肯すると、再びするすると樹を登って行く。彼の白い足が葉の陰に消えた。
それと相反するようにして、アリーナが下りてきた。土を手で払い、長靴を履く。
「クリフト、何してるの?」
姫は、袋を置いてうずくまり、ごそごそと身じろぎしている従者に尋ねる。
「今気がついたのですが」 クリフトは顔をあげて姫を見た。「地黄が生えているのです」
クリフトは腐葉土をかき分けるようにして掘った。すぐに植物の地下茎が顔を出した。
「なあに? それ」
「煎じて飲めば傷に効きます」
云いながら、青年は根をむしる。
「へえ、すごいな」
いつの間にか戻って来ていたユージンが、クリフトの手元を覗き込んで歎声を洩らした。
やがて、薬草もまた布袋を満たした。
「柿と一緒に干しておきましょう。頃合いを見てわたくしが薬にしておきます」
「ありがとう、クリフト。助かるよ」
ユージンは笑う。それを見て、神官の心もほぐれた。
「ユージン、クリフトって、すごいでしょ」
アリーナが我がことのように胸を張る。ユージンは頷いた。
「そうだね」
「なんでも知ってるんだよ!」
そして姫は、小さな頃から生傷が絶えなかった自分の手当を、クリフトがいかに手際良くしてくれたか、薬草や毒消しの調合がいかに達者であるかを、喋り出した。その表情は誇らしげで、クリフトはくすぐったかったが、それでもひどく嬉しかった。

太陽の光は相変わらず森の中に拡散していたが、その温度は先ほどよりも下がり、木立には夕刻の気配が浸食を始めている。
森の入口まで戻るべく、彼らは元来た道をたどっている。アリーナは早足でどんどん進み、群青の外套を見失わないように追いかけるのに、クリフトもユージンも難儀した。
「姫さま! あまり離れないでください!」
「わかってるー」
クリフトの声にそう答えるものの、彼女の歩く速度は緩められる気配が無かった。
全く、しょうがないなあ、とため息交じりにぼやいたクリフトの傍らで、柿のたっぷり入った布袋を肩から提げたユージンが忍び笑いを洩らす。少年はこう云うとき、同調も反駁もせず、静かに笑っていることが多かった。それはブライがアリーナを嘆くときも、ミネアが姉を愚痴るときも、変わらない。
神官は勇者のそう云う奥ゆかしいところを好ましく思っている。彼が時に見せる果敢さや決断力を、常の穏やかさが引き立てているように、青年には思われるのだ。
そんなユージンが口を開いた。
「アリーナは可愛いね」
クリフトは、言葉を忘れた。
動悸が一気に跳ね上がった。顔から血の気のひく音が聞こえてくるようだった。
しばし、ふたりが腐葉土を踏む音だけが、彼らの歩行の供となった。
神官が我に返ったのは、森の鳥の鋭い声のおかげだった。あまり黙りこんでいては、変に思われる。クリフトはとっさに表情を作り、相槌を打つ。
「……可愛いですか」
だが、声は硬く、表情はさらに引き締まってしまった。青年の内心の動揺は更に深まった。
「うん。だってさ──」
ユージンは自分より頭半分ほど背の高いクリフトを見上げ、何の衒いもない笑顔を見せた。
「アリーナはクリフトのことを、本当に好きなんだって思ったんだ」
「……」
思いもかけない言葉に、神官はまたしても言葉を忘れた。少年はそんな彼の様子に気づいたか、気付いていないか、更に云った。
「口ではきついことを云うことがあるけど。でも多分、たとえばぼくが同じことを云ったら、アリーナはすごく怒ると思う。アリーナはクリフトが自慢でしょうがないから」
「そ、そうでしょうか」
「さっきだって、すごく一所懸命クリフトの話をしてくれたじゃないか。本当に一所懸命。すごく素直で、女の子らしいんだなあって思ったんだ。普段は勇敢なのにね」
「はあ、そうですね──確かに、わたくしにとっても、自慢の主君です」
クリフトは云い、ユージンを見た。
勇者の瞳が、秋の空より蒼いことを、神官は改めて知った。
その双眸の奥には、凛とした、深い智慧がたゆたっている。その揺らめきに己の内心を、隠しているはずの恋慕を、一瞬にして見透かされてしまったような気がした。青年はごくりと生唾を飲む。そして、少年が、次の言葉でクリフトの本心を暴くのではないかと、埒もない恐れを抱いた。
だが、ユージンはただ、頷いただけだった。
果てしないように思われた木々の連なりに切れ目が見える。森が終わりを告げているのだ。
森の外から注ぐ光を背にして、仁王立ちになる姫の小柄な肢体が、徐々に近づいてくる。
「早く、早く!」
アリーナの声は笑っている。
「お帰りなさい、みなさん」
彼女の横で、トルネコが太鼓腹を揺らした。逆光で見えないが、きっといつもの底抜けに明るい笑顔を浮かべているはずだ。
「わかったよ、今行くから!」
ユージンは云い、クリフトを促す。クリフトも心得て、小走りになった。
森を出る。視界が開ける。
青年の心がふと和らぐ。
森の中で感じた居心地の悪さや、醜い心や、それを嘆く気持ちは、いつの間にか霧散している。
森には邪な精が棲むと云う。
彼らの邪気に、知らず知らずのうちに中てられていたのかもしれなかった。
「お腹すいちゃった。早くご飯にしよう!」
アリーナが笑う。
この笑顔が、そんな悪霊を祓ってくれたのかもしれなかった。
「ちょっと早いんじゃないか?」
ユージンが云う。
彼の瞳の奥の光もまた、クリフトの心の澱を取り除いてくれたのかもしれなかった。
青年の視界の端に、一番星が見えた。
微かな、でも一直線な瞬き。それはまるで、目の前の少女のようだ。
願わくば、自分がその夕星ゆうずつを包む、夜空になれますよう。
青年は心の奥で、そっと祈った。

 


個人サイトにアップしていたドラクエ4クリアリ小説です。2009年から2010年ごろ初出。2021年5月にpxivに掲載。
個人サイトの5000アクセス御礼でアンケートをして、その時のリクエストへのお返しとして書いたお話でした。
以下は更新時のブログ。

 実はクリフト+アリーナやら、アリーナ+ユージンやらは今まで描写をしたことがあったのですが、クリフトとユージンの絡みはほぼ書いたことがありませんでした。
 同年代なんでもうちょっと仲良くても良かったかも。二人の距離感はそのまま、私が彼らに近付いてない証拠なのかもしれません。
 岡目八目という言葉がありますが、傍で見てるユージンのほうが、よっぽど彼らの本当の気持ちに気づいていましたよ、というようなお話です。
 クリフトをもうちょっとかっこよくしてあげたかったかもしれないっす。
 「ゆうずつ」というのは、「一番星」の古語です。