at the Sephirothic tree

頂はもはや、霞んで見えない。
大の大人が数十人がかりで漸く取り囲めるくらいの巨大な幹は、それ自体がまるで天を支える柱であるかのように聳え立っている。幹の途中から唐突に伸びる枝らは、まるで巨木の幹のような太さであるが、しかしあくまでも枝に過ぎない。梢は果てしなく広がり、空との境界に溶けていく。青なのか緑なのか、その端は二色が渾然となっていた。
生い茂る葉は、無花果の葉に少し形が似ている。魚が抱える卵のように膨大な数で、いっそ重量すら感じさせる。そよ風が吹き付けるたびに、彼らはざわめき立つ。それはまるでさざ波のようで、始まりも無ければ終わりも無い。
木漏れ日が其処彼処から注ぎ、金剛石ダイヤモンドのかけらめいた輝きを落としている。
樹皮はすっかり苔むしており、ずるがしこいツタたちが滋味のおこぼれに預からんと蔓を絡ませているが、彼らの横取りなどきっと、この巨木は気にも留めないであろう。
枝を栗鼠が渡っていくのが見える。小鳥たちが群れをなしては梢から梢へと飛び移り、七色の囀りを交わす。獣たちの鳴き声が降ってくる。
ユージンは、まるで屏風のような高さの根に近づき、そっと樹皮に耳を押し当てた。樹が水を吸い上げる音が、力強く鼓膜を叩いた。
それは、生命の揺籃であった。
ひとつの、宇宙であった。
冒険者たちは無言でそこに立ち尽くし、ただ世界樹を見上げた。見上げ見上げて、見上げ果て、やがて誰からとも無く顔を見合わせた。
マーニャが云った。
「……ねえ、本当にこれに登るの? てっぺんにつくころには、来年になっちゃうんじゃない?」
それは正に冒険者たち全員の本音の代弁であった。
だが。
「登るしかないでしょう。誰かが助けを求めてるって云うんだから」
と答えたトルネコの言葉もまた、彼らの思いであった。
「それはそうだけど、ちょっとお人よし過ぎない?」
マーニャが渋面をつくる。
「ほ、本当にこのような高いものに登るのですか」
クリフトが云う。
「わたくしは、高いところは苦手なのですが」
「高いなんてものじゃないと思うわ、これ」
ミネアの言葉に、クリフトは色白の肌を青白くさせた。
そんな仲間たちのおしゃべりをよそに、ユージンは外套マントをはずし、長靴ブーツを脱いで裸足になった。ごつごつとした樹の表面に手をかけ、地面を蹴る。仲間たちが眺めているうちに、あっと云う間にすわりの良い場所までたどり着き、ユージンは彼らを振り返った。
「みんなはちょっと待ってて。様子を見てくる」
「ひとりで大丈夫か」
「すぐ戻ってくる」
云い置いて、彼は猿のように手足を器用に使い、更に上へ上へと登っていく。
やがて、幹に開いたウロのなかに、少年の姿は消えた。
「さすが、山の子」
「すごい! 私も登ってみたい!」
アリーナが目を輝かせる。
「これ姫さま、お遊びではありませぬぞ」
ブライが嗜めるが、耳を貸す姫ではない。
「わたしだって、木登りは得意なのよ」
云いながらアリーナは長靴を脱ごうとする。
「ちょっと待ちなよ、アリーナ。あとでいやってほど木登りできるんだから」
マーニャが呆れたように云う。
「すぐ帰ってくるから!」
と、姫がまさに登攀の第一歩を踏み出そうとしたとき、先ほどのウロからユージンがひょっこり顔を出した。
「どうだ?」
ライアンが声をかける。
「……魔物が居る」
「なんと」
「放っておけない。早く助けに行かないと」
勇者の言葉に、仲間たちは頷いた。

最初のウロにたどり着いてしまえば、木登り自体はそこまで難しいものではなかった。幹の中は巨大な空洞になっており、ごつごつとした節が階段の役目を果たしてくれている。ウロからウロへ、幹を伝い、時には枝を渡る。樹の表面と内側を行ったりきたりしながら、少しずつ高度を稼いでいく。
世界樹の枝は、それ自体がひとつの巨木のような堅牢さを持ち、冒険者たちを支えてくれていた。まるで大地を踏みしめているかのようだ。彼らが走ろうが、歩こうが、魔物たちと格闘しようが、びくともしなかった。
慣れと云うのは現金なもの。ましてや歴戦のつわものの彼らは、いつの間にか地上と変わらないような気分にすらなっていた。
たった1人の例外を除いては。
サントハイムの神官の動きたるや、カタツムリのごとしであった。そろそろと手足を動かし、のろのろと身体を追いつかせる。仲間たちも気を遣ってはいたが、すぐに距離が開いた。
何度も後ろを振り返り、クリフトとの距離を測っていたユージンだったが、幹と枝の間に広めの空間を見つけると、仲間たちに云った。
「休憩にしよう」
みな、車座になって座る。
「クリフトさん、大丈夫ですかね」
水筒のお茶を飲みながら、トルネコが云った。
「本当に高いところが嫌いなのね」
「全く、情けない。見てるこっちが恥ずかしいわい」
ブライが嘆息する。
クリフトはまだまだ眼下の枝を、慎重に慎重に登っているところである。
「ライアン、先頭に立ってくれるか。ぼくはクリフトと一緒に行く。分岐があったら、向かった方角の枝にしるしをつけておいてくれ」
「ああ、心得た」
勇者と戦士はそんなことを云い交わしている。
「もう。クリフトったら」
見てられないと云ったような口調でアリーナが立ち上がる。
姫は軽業師のような身のこなしで、クリフトのところまで下りていった。
見上げた梢に、赤銅色の巻き毛が揺れているのをみとめ、クリフトは動きを止めた。
「姫さま」
「そこどいて!」
そんな声と一緒に、樹皮を滑り台のようにして、アリーナが下りてくる。
「うわっ!」
クリフトは避けようとした。──が、身体がすくんで、動けない。
ぶつかる! と思った刹那、姫の身体がふわりと浮いた。
「ひ、姫さま!?」
神官は慌てて振り返った。すこし先の梢に飛び移った姫の姿があった。安堵に胸をなでおろす。
「クリフト、ブライと一緒に樹を下りる?」
姫が問う。
「……いえ」
青年は健気に首を横に振った。
「大丈夫です。皆さまと一緒に参ります」
「でも、顔色が真っ青だわ」
「平気です。すぐ慣れます」
だが、見たところ、とても「すぐ慣れる」ようには思えないクリフトの顔色の悪さである。下手に緊張を強いて貧血でも起こされるほうが、アリーナはよほど心配だった。それこそ、地面にまっさかさまと云うことになり兼ねない。
「わたしは、戻ったほうがいいと思う」
「いいえ。参ります」
クリフトは頑なである。
アリーナは諦めて、彼の脇を通り、先立って来た道を戻り始めた。あくまでゆっくりと動いたつもりだったが、不図振り返ると、クリフトの姿は予想以上に小さくなっていた。
これは、駄目だ。
アリーナは決意した。
再び、クリフトのそばまで下りていく。
彼に並ぶくらいまで行き、声をかけた。
「クリフト」
「はい」
姫が彼の顔を正面から見据える。
「命令よ。樹を下りなさい」
梢がひときわ大きく、葉をゆする。
通り雨が軒端を叩くような音が、波頭のように連綿と続いた。
青年が静かに答えた。
「恐れながら、そのご命令を拝命することは致しかねます」
瞬間的に、むかっ腹が立った。アリーナは語気鋭く問い返す。
「何云ってるの。そんなへっぴり腰で、落っこちちゃったらどうするつもり? 強がってないで、下で待っていなさい」
クリフトは黙って、枝の瘤を掴み、登り始める。
「クリフト! 命令が聞けないの?」
「聞けません」
云って、青年は振り返る。
クリフトの緑色の瞳が、アリーナの視線を捕らえた。
「それだけは従えません」
決然と青年は云った。
そして、また木登りを始める。
「何よ。何でそんなこと、云うの」
「あなたさまのお傍に、わたくしはいなければなりませんから」
振り返らないまま、彼は云う。
アリーナは、口をふさがれたように、言葉を失った。

──なんでそんなこと云うの。
なんで無理してるの。
高いところが、嫌いなんじゃないの。

“命令”は、絶対だ。
彼と彼女を、臣下と主君という記号に還元する、魔法だ。
それだと云うのに。
先ほどより少しは素早く動いているように見える、クリフトの背中を、アリーナは見つめた。

そこまでして、わたしと一緒に来るのは、どうしてなの。

乙女には、その問いを発する勇気は無い。
そのかわり、アリーナは口を開く。
「斜め右上の瘤に手をかけて、そしたらその左上の瘤に手を移して」
「……はい」
クリフトの背中が答えた。

その声はいつもと変わらず。
姫は高鳴る鼓動を誤魔化すために、深呼吸をした。

 


2008-10年ごろ個人サイトで初出。2021年5月pixivで掲載。
以下は更新時のブログより。

 「Sephirothic tree」というのはカバラの根源世界観の「生命の樹」のことです。
 世界樹、ということで最初は「アト ザ ユグドラシル」にしようかと思ったのですが、「いやいやドラクエと北欧神話関係ないし」と云うことで、ボツ。
 「tree of life」にしようかと思い、調べていたら、「Sephirothic tree」という言葉もあることを知ったのでした。
 ウチのサイトもカバラから名前をちょうだいしているので、これも何かの縁と思い、採用と相成りました。

 何と云うかですね、クリフトが一所懸命「臣下の役目です」と云ってアリーナへの気持ちをごまかしてるんだよということにアリーナが気がついてしまうというか、そういうお話にしたかったのですが、どうもいまいち上手にかけなかったような気がする。
 毎回「いまいちうまく行かなかった」って言ってばっかりじゃん! あああああーーーー。
 どうせやるなら、上手にやりたいなあとたまに思って切なくなります。
 もしかしたら書き直すかもしれません。