Your Cage

書架はひっそりと、まるで聖人の像のように佇んでいた。
隙間無く並べられた書物の背表紙が、若者を見下ろしている。
国教会の書物庫には過度の湿度も高温も、日光すらも侵入を許されてはいない。まだ太陽は中天に至らぬ午前中だと云うのに、そこは魔法の灯りがひそやかに四隅を照らし出すのみだった。灯りに炙られた青年の影が、まるで幻燈のように壁に踊っている。
風通しが必要な為に、書物庫は王宮教会聖堂の程近く、城の中庭のそばに位置している。けれども日光は厳禁なので、窓は鎧戸に覆われて日に一度だけ開放され、さらには分厚い緞帳で外界と分かたれている。黒檀の書架はまるで林のように立ち並び、ところどころに書見机が配置されていた。
クリフトはその書見机と書架を、朝から呆れるほどの回数、往復していた。
聖地より帰還して早数週間。
神の教えの書物を収集しただけでは彼の任務は完了とは云えなかった。国教会の書物庫を、以前のように復元するまで、彼はその仕事に従事することを要求された。つまり、配架を決定し、目録を作成し、管理用の書類を整え──聖地での任務にも増して地道な作業が彼を待ち受けていたと云うわけだった。
クリフトは周囲のものが剋目する速度でその仕事を片付けていた。実を云えば青年は、神官となってからこの書物庫に出入りするうちに感じていた不便を解消する手立てを、「こうやったらもっと巧く管理できるのではないか」と漠然とした形ではあるが夢想していた。それを今、実行に移すことが出来ている。捗るのは当たり前と云えば当たり前かもしれなかった。
実際、彼の書物の分類と管理は、体系的かつ実務的なものであった。百数十年、否、それ以上、下手をすればサントハイム建国以前より伝えられてきた書物をただ年代別に並べただけのかつての書物庫とは、全く考え方を変えた配架である。これには、腰の重さのわりに嘴ばかりが長くて鋭い国教会のお歴々も感心せざるを得なかったようだ。殆ど誰に指図を受けることも無く、青年は帰国してからと云うもの、出勤から帰宅までを、この薄暗い書物庫の中で過ごしていた。

背後にひとの気配を感じ、クリフトは振り返った。
「ブライさま」
驚くほど近くまで、青年は老魔法使いの接近を許していた。ブライは何処からか引きずってきた黒檀の椅子によっこらしょ、と腰掛け、呆れたような顔で青年を見た。
「お励みじゃな、若僧」
「いえ」
「城に何泊しとるんじゃ、一体」
「まだ二泊めです」
クリフトは平然と云う。
あの無秩序な書物庫の手綱を握り、己のロジックで再構築できる、と云う現在の状況があまりに嬉しく、半分躁状態になっていた青年は、彼の上司や老師ブライを呆れさせるほどの仕事中毒ワーカホリックぶりを発揮していた。特にここ最近は、書物庫に篭りきりになるのに飽き足らず、とうとう寝袋を持参して泊り込みまで始めた始末だった。
「酷い顔じゃのう。夢魔ナートメンレにでも取り憑かれたかと思うたわ」
「そ、そうでしょうか」
クリフトは顎を撫でる。髭は毎朝整えているし、洗顔も歯磨きも怠ってはいない。確かに、詰襟の国教会の神官服は着崩れている。それは認める。だが、それほどひどい有様のつもりではなかったのだが。
「目の下にクマが出来とるわ。うらなりが益々血色を悪くして如何するか」
「申し訳ございません」
青年は頭を掻いた。
まあ良い、と白髯の老師は独りごちて、懐から一通の書状を取り出した。黄金の紐と赤い封蝋で余人の目には文面が晒されぬようになっているそれの封を切り、ブライは厳かな口調で云った。
「サントハイム国教会、クリフト・エーリャン・グルンデン。右のものを、アリーナ王太子殿下の教師に叙する。科目は経済学とする」
「わたくしがですか?」
クリフトは目を丸くする。アリーナの家庭教師の仕事は、聖地に発つ前にお役御免となったはずであった。もう二度とそれを務めることは無かろうと、この数年の思い出を懐かしんでいたばかりだったのだ。
「姫さまがそなたが良いのだと云うて聞かぬ」 老師は苦々しい顔つきで云う。「最近は我侭もすっかりなりを潜めておられたのだが」
「はあ」
青年の鼓動が少し速度を上げた。あの晩秋の街道での抱擁が、彼の脳裏に色鮮やかに蘇った。あれ以来取り紛れてろくに会話もしていなかった愛しい娘の面影を、クリフトはポケットに忍ばせたチョコレートを思うような気持ちで追った。
「クリフト」
ブライがじっと、見据える。
「はい」
その口調に平生とは異なる響きを覚え、青年は背筋を正した。
「陛下の恩情をゆめ忘れるな。それこそが、姫さまのお傍に在ることを許されている只ひとつの理由である」
薄暗い、乾いた紙の匂いが篭もる書物庫のなか、老人と青年の視線が絡み合い、やがてほぐれた。
その奇妙な沈黙を破ったのは、クリフトだった。
「勿論です」
青年は頷く。老師の言葉を額面どおりに受け取りました、と云う顔で。
言外に振りまいた匂い袋に、クリフトは気づいた様子も無い。ブライは更に口を開きかけたが、止めた。椅子から立ち上がる。
「もうお戻りですか」
「用事は終わったからな」
小柄な老人は長身の青年をぎろりと睨めつけ、先ほどの飲み込んだ言葉の代わりに、しかめつらしい口調で云った。
「今宵は必ず家に戻れよ。服の皺くらい伸ばして来い」

◇◆◇

青年と乙女の間には桃花心木マホガニーの大きな机が横たわっている。机の上ではテキストや副読本、書き付け用の紙やペンが主の熟考を眺めている。
「──解らないわ」
アリーナは椅子の背もたれに身を投げ出し、大きく溜息をついた。
クリフトは紙を姫の前に差し出し、さらさらと図を描く。
「つまり」
青年が姿勢を変え、娘に今一歩近づく。彼の深い藍色を秘めた黒髪が揺れるのを、アリーナは目の端で追った。
「……姫さま?」
「聞いてる、聞いてる」
アリーナは慌ててそう答える。
「つまり、このような状況下に於いては……」
青年は言葉を続ける。
クリフトは城に戻って以来、今まで身につけていた王宮教会の法服ではなく、国教会の神官服をまとっている。濃灰色に染めた羊毛を綾織りにした布で出来た、膝下まで丈のある、詰襟の意匠だ。身体の線に寄り添った形で、ゆったりと肢体を覆う王宮教会の法服よりもクリフトには似合っていた。襟元からは、助祭を示す苔色のカラーが覗いている。
アリーナは彼の神官服姿をひどく気に入っていた。彼のすっきりと整った顔立ちと青みのある肌の色は、禁欲的な雰囲気の神官服によく映えていたし、丈の長さや襟の高さも、彼の縦長な体型の見栄えを更に良く見せこそすれ、決して損なうものではなかった。野暮ったい印象の法服姿よりもよほど好ましい。
「姫さま」
上の空のアリーナを、再びクリフトが呼ばわった。
「真面目にお聞きください」
彼のすこし厳しい表情に、アリーナは肩をすくめる。
「ごめん」
素直に、謝る。そして、付け加えた。
「だって嬉しいんだもの。久しぶりにこうやっていられるから」
クリフトがふと、手を止めた。朱を刷いたように頬が赤らむ。
「真面目にお勉強していただかねば、困ります」
青年は思わず緩む頬を引き締めるのに難儀しながら、わざと苦々しい顔を作ろうとしたが、その努力はあまり成果をあげなかった。糞真面目な言葉ばかりが空回る。
えへん、と、へたくそな咳払いをし、クリフトは云った。
「休憩にいたします」
「はぁい」
アリーナはしおりをテキストにはさみこみ、パタンと閉じた。クリフトもそれに倣う。
視線を感じて顔を上げると、アリーナがにこにこと笑いながら彼を見ている。彼女の内にある明るい感情が、そのまま漏れ出すような活き活きとした表情である。
「……嬉しいね、クリフト」
「…………はい」
顔から火が出そうだ。己の身体がどうかしてしまったのではないかと心配になる。
そんなクリフトを尻目に、アリーナは立ち上がり、窓の外を眺める。
すっかり木の葉を季節風にもぎ取られてしまったマロニエが、天に向けて身を捩っていた。
クリフトはそっと彼女の傍に寄る。斜め後ろ、従者の位置で彼女の横顔を飽かず眺めた。
アリーナが振り返る。
「クリフト、見て」
「何です?」
窓辺に寄って姫が指差した方を見る。骨のような枝ぶりの先に、紅猿子ローズフィンチが身をちぢ込ませるようにして留まっていた。顔から腹部にかけてを緋色の羽毛が覆っている。
「あれ、何て鳥?」
「ああ、紅猿子ですよ。珍しいですね」
「わたし、初めて見た」
「水辺の鳥なんですよ。旅の途中でしょうか」
「そうなんだ。可愛いね」
「そうですね」
頷いて、クリフトは姫を見やる。
「姫さまの御髪のような色ですね。とても可愛いです」
「わたしの髪、あんなに赤いかしら?」
アリーナは指先で、自身の赤銅色の巻き毛をつまんだ。実のところを云えば、野鳥の羽は緋に過ぎ、アリーナの頭髪とは少しばかり色調が違った。しかし、くりくりとした愛らしい顔立ちといい、こじんまりとした姿といい、紅猿子の姿は、何となくではあるがアリーナに似通ったものがある。
「姫さまはあの小鳥に似てらっしゃいますよ」
「えーっ。そう?」
「はい」 クリフトは笑う。少し、勇気を出す。「とても、その……可愛らしいところが」
姫はすこし驚いたような顔で青年を見、ついで、はにかんで笑った。
その初々しいしぐさが、クリフトの胸を熱くさせる。いつも端近で見ていたはずの彼女の一挙一動は、あの晩秋の日を境に、より鮮やかに青年の網膜に焼き付き、心の臓を揺すぶるようになった。自分が変わったのか、乙女が変わったのか、それはクリフトには解らない。もしかしたら、両方かもしれない。
「クリフトの髪の色は、どんな鳥に似てるかな? 青橿鳥ブルージェイ? ちょっと明るすぎる?」
「わたくしは鳥ではありませんよ」
「何それ、人を紅猿子って云っておいて、自分だけ人間のつもり?」
「いいえ」
「じゃあ、何?」
「わたくしは、鳥かごです」
「鳥かご?」
クリフトは黙って、傍らの乙女の手を取った。
彼女の手は、武道家らしい、節目がくっきりとした手だ。それでも、己の手の中にすっぽりと納まってしまう。
クリフトの手はやはり男の手で、アリーナの手は娘の手で。
どんなに彼女の拳が力づよくても、それは変わらないのだった。
日々欠かさぬ鍛錬で、アリーナの手肌は少し荒れ、かさついてしまっている。けれども、その手をクリフトは心から美しいと思う。
「こうやって小鳥を、捕まえるからです」
青年の艶やかな言葉に即妙の答えを見つけられず、乙女はただ頬を染めて唇を尖らせた。
「あなたは目を離したらすぐにどこかに行ってしまわれますからね」
「どこにも行かないよ」
「そうですか? 信用なりませんね」
「クリフトの前からは、いなくならないもの」
アリーナは云う。
彼女の言葉に合わせて揺れるその巻き毛は、初冬の乾いた陽光を透かして、本当に野鳥が振りまいた羽毛のように見えた。

◇◆◇

『教会史概論』。581ページ。
クリフトは目録に書物の概略を書き込んでいく。
彼の書物庫での仕事はいよいよ大詰めを迎えつつあった。自重していた泊まりこみも、この期にあってはそれが当然のように思われ、遂に父ヨアキムの執務室の隅をねぐらにして昼夜の別なく精励した。顔見知りの武官に頼み込んで兵舎の風呂こそ借りてはいたが、ほとんどカラスの行水程度で、無精髭が青年の顎に暗がりを作り出している。シャツに苔色のカラーをつけているためにどうにか神官とわかるが、ここ数日のクリフトは、殆ど苦吟中の売れない詩人のような見てくれになっていた。
外界は、まるで遮るものの無い青天がここのところ続いているが、彼はそれにすら気がついていない。と云うよりも、しばらく日光を浴びていない。無論そんな瑣事に頓着する心の余裕は、今のクリフトにはない。
手首がきしむのは、数週間の書き仕事が引き起こした腱鞘炎の所為だろう。
「あっ!」
青年は大きな声をあげる。
「あ~……書き損じた……」
書物だけが彼の独り言を聞いている。
「ああ、しまったなあ……」
クリフトはぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。
「何冊前からやり直せばいいんだ……?」
そう呟きながら、彼は目録の頁を繰る。
そのとき、コンコン、と、書見机の向かいの窓がノックされた。
風の悪戯かと思い、最初は黙殺した。
だが、2度、3度、とそれが繰り返され、クリフトはとうとう立ち上がって緞帳を引っ張り、窓を開けた。
この忙しいときに、一体誰だと云うのか。親しい衛兵や神官だったら、「邪魔をしないでください」と一言云ってやるつもりだった。
「開けますよ」
ぶっきらぼうに声をかけて、窓を覆う鎧戸を押し開いた。
「ごきげんいかが? 穴熊さん」
「姫さま」
アリーナが立っている。豊かな髪を馬の尻尾のように縛り、麻の簡素な上下を身につけているところを見ると、彼女は彼女で武道の稽古に励んでいたようである。運動の後だからだろうか、健康的な血の色が、まるで薔薇の花びらのように彼女の白い肌を染めている。
「黴が生えちゃうよ、ずっとそんなところにいたら」
「今、大事なところなのです」
クリフトは真面目くさって云った。
「ふうん」
アリーナは窓の桟に左手をかけ、首を伸ばして書物庫の中を覗き込む。うわあすごい本の数、と、独り言のように云った。
「これ、全部クリフトが整理してるの?」
「ええ、まあ」
「すごいね。えらいね、クリフト」
姫は彼を見上げて、笑った。
「いえ……そんなことは」
クリフトは彼女に相対して初めて、憑き物が落ちたような気持ちになった。知らず、笑顔がこぼれた。
「これ」
姫が後ろ手に隠していた右手を差し出す。てのひらの上に、林檎が乗っている。
「食べて。美味しいよ」
「あ、ありがとうございます」
クリフトはそれを受け取った。
「じゃ、お仕事、頑張ってね!」
アリーナはそう云うと、きびすを返した。彼女が生活する奥向きの棟の方角に、梢を走る栗鼠のような敏捷さで駆けて行く。
その姿を見送って、クリフトは再び窓を閉める。
書見机を見やった。書物がまるで塔のように積み上げられ、書き付け用の紙にはインクが飛び散っている。
椅子に座る。ふう、と大きな溜息をつき、手の中の林檎を見た。丁寧に磨いたものか、艶がある。赤い果実の表面から、内に湛える蜜の香りが漏れてきた。
クリフトは行儀悪く、そのまま林檎にかじりついた。果汁が口の中で弾け、ほくほくとした果肉が踊る。すっきりとした酸味が彼の疲れた頭を癒す。
無心に与えられた食物を頬張る自分は、まるで巣箱に餌付けをされている小鳥のようだ。
もしかすると、やはり籠の中にいるのは自分かもしれない。
とすれば、それを捕らえてやまぬあのひとこそが、鳥かごか。
端から見れば薄気味悪いが、クリフトは思わずしのび笑いを漏らした。恋する乙女が瞠目するほど美しくなって行くのに反比例するように、恋に惑う男はみっともなくて間が抜けている。
だが、そんな自分が、青年は厭ではなかった。
再び、林檎に噛み付く。
未だ味わったことのない乙女の唇のように赤い果実は、砕けて甘い甘い蜜を散らした。

 


個人サイトにアップしていたドラクエ4クリアリ小説です。2008-10年ごろ初出、2021年5月pixivに掲載。
以下はサイト更新時のブログよりコメント。

 いちゃいちゃしやがってこんにゃろう、と言う感じのおはなしになりました。
 あー楽しかった。もっといちゃいちゃさせてやるもんね。この人たちはこのくらいの初々しい雰囲気がとっても可愛くて似合うなあ、なんて思ってしまいました。
 一応20代の前半を想定して書いた話なんですけど……高校生みたいだなあ。私の恋愛スキルが驚くほど低いので、このひとたちにあんまり反映させられないのが悲しいところです。我が非モテ人生ばかりが露呈されていくと言わざるを得ない。
 カトリックの司祭様が身につけておられる「カソック」と云う服をクリフトに着せてみた絵ヅラを妄想したらとんでもない勢いで似合ってしまったので、今回着せてみました、と云うおはなしでもあります。
 まんまカソックを着ているわけではなく、カソック調、くらいのイメージでおりますけれども。

 前回のクリアリ話にもちらっと出てきた紅猿子(ベニマシコ)は、とてもかわいい鳥で私が大好きなのでまたもや出しちゃいました。画像検索かけるとすぐ出てくるので、ご興味をもたれたかたは是非ご覧になってみてください。とても可愛くて、綺麗な鳥です。
 青橿鳥(アオカケス)も、とっても美しいです!