「明日ジャックとやりあうらしいじゃねえか」
つい最近ドレッドヘアにしたばかりの友人が、部屋を訪れるなり言った。
「耳が早いな」
キングは眉毛一つ動かさず、ミッキー・ロジャースを見た。
「最近付き合いのある奴らが情報通なんだよ」
ミッキーは答えて、勝手にダイニングの椅子に腰掛けた。下町の1ベッドルームの狭いアパートメントがより狭く感じられた。すっかり勝手知ったる様子だが、ミッキーとキングの付き合いも既に数年が経とうとしているのだから当たり前と言えば当たり前だった。
一呼吸おいてから、ミッキーが口を開く。
「俺はよ…、お前と付き合いが長えから言っとくがよ。ジャックと喧嘩するのはあんまり得策じゃねえぜ」
「なんでだよ。俺が負けるって言うのか」
秀麗な顔立ちに怒気が立ち込めるのを見て、ミッキーは首を横に振った。ふとした瞬間の表情に繊細さを見せる美形の友人は、しかし怒りっぽいことでもこの巷では有名だった。
「だろ? なら黙ってろよ。明後日には俺たちのチームがジャックの縄張りまで仕切ってるぜ」
キングは勝気な表情でそう嘯くと、冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出して直接口につけた。ごくごくと飲料を嚥下していく喉元を見ながら、ミッキーは溜息をついた。
「お前は強いけど、ジャックだって半端ねえじゃねえかよ。並の蹴りじゃびくともしねえよ」
「俺の蹴りは並じゃねえよ」
キングはきっぱりと言い放つ。
ミッキーにも水の入ったグラスを差し出し、キングはミッキーの向かいの椅子に腰掛けた。受け取ったグラスの水を飲み干し、ミッキーが続ける。
「お前がジャックに負けるとは思ってねえよ。一対一ならな」
「何だよ、それ」
「ボス同士の一対一の決闘なんて綺麗事、通用しねえぞ、あいつらには」
「………」
「万が一ジャックに負けそうになったら、気絶する前に逃げろよ。あいつら、えげつねえんだ。ジャックの取り巻きにリンチに遭う前に逃げるんだぞ」
ミッキーの真剣な物言いに、キングの顔からは怒気も、長年の悪友を揶揄うような表情も消えていた。
「万が一、負けたらか」
「俺はお前が負けるとは思ってねえよ? でもあいつらがどんな手使ってくるか分かんねえだろ。お前も仲間を何人か連れてけよ」
「ああ」
キングは頷いたが、本当に信頼できる仲間は数えるばかりだった。ジャック・ターナーの率いるストリート・キッズのグループ、「BLACK CATS」の勢いに靡こうとしている連中が自分のチームの中に何人かいることを、ストリート・キッズのボスとしてはごく自然に、キングは把握していた。
決闘の場で裏切られたら、多分負ける。それはキングにも分かっていた。
数人の信頼できる人間も自分も、袋叩きに遭うだろう。殴られることは気にならなかった。自分も散々殴り、殴られてきたからだ。
あくまで殴られるのであれば、だった。
キングはぽつりと呟く。
「……明日ジャックに負けて、もし女だってバレたら、レイプされるだろうな」
「……あんまり気持ちのいい想像じゃねえけど、その可能性はあるな」
ミッキーは眉を顰めた。
サウスタウンの下町を仕切るストリート・キッズのボス。そのべらぼうな強さと誇り高さから、いつか誰かがあだ名した「キング」と言う通り名。線の細さを舐めてかかれば勝ち目などない。野暮な連中はあっという間に半殺しにされるほどに強い、そのキングが、実は20歳にもならない少女だと言うことをミッキーは、ミッキーだけは知っていた。
それはいつの事だったか、ミッキーの記憶はすでに曖昧だ。彼が今のようにキングの家を訪ねた時のことだった。体調が悪い、と真っ青な顔でベッドに潜り込んでいたキングを心配してあれこれと世話を焼いているうちに、キングが不自然に自分から体を庇うことに気がついたのだ。なんだよ、それじゃ世話できねえだろうがと毒づくと、世話なんかいらねーよ馬鹿野郎、と倍の毒舌が返ってきたが、相当体調が悪かったのか、お前黙ってろよと言いながら、キングはミッキーに自分の性別を明かしたのだった。
ミッキーは学校にもろくに通わない不良少年だったが、女に暴力を振るったりすることはなかった。サウスタウンのスラムでは珍しく、両親が離婚していなかったし、両親の間には愛情があった。女は征服する対象ではなく、同じ人間として、互いに愛し愛されるものだと、ミッキーは彼らから学んでいた。そんなミッキーの普段からの態度が、きっとキングを信頼させたのだろう。
キングの性別が彼らの付き合いに何らかのケミストリーを起こすことはなかったが、こうやってキングが本音を吐露することが増えたのは事実だった。
キングが無口になったのを見て取り、ミッキーは口を開いた。
「とにかくその、お前、弱気になるなよ。お前は『キング』だろ」
「………」
ずいぶん遠回りしたが、今日のミッキーの本当の目的を達成するのには逆に好都合になった。なぜならば、キングの心境が分かったからだ。悪友からの信頼を裏切るようで居心地は悪かったが、内心の罪悪感に目をつぶりつつ、きっとキングは応じる筈だと確信を得て、ミッキーは口を開いた。
「ストリート・キッズのボス同士の決闘なら、立会人が必要だろ。俺がなってやるよ。それならお前が万が一ジャックに負けても、庇ってやれる」
「……ジャックがその提案を受けるか? 俺とお前が友達なの、ジャックは知ってるぜ」
「実を言うと俺も頼まれたんだよ、俺が最近付き合いだした奴らから。だから俺が立会人ってのは、そいつらヅテでジャックには話通ってるはずだ」
「誰だよ、そいつらは」
「お前らみたいなストリート・キッズに暴れられて警察が顔突っ込んでくるのが嫌な連中だよ。お前らが喧嘩するのと警察が殺気立って迷惑だから、さっさと手打ちにして欲しいわけよ」
「……本当のギャングか? お前いつからギャングの手下になったんだよ」
キングはあからさまに眉を顰めた。
彼女にとって、ストリート・キッズのボスの座は、完全に成り行きで手に入っただけのものだった。ストリートファイトをしながら生計を立てる中、降りかかる火の粉を避け続けたらいつの間にかそのへんのチンピラの中でいちばん強くなり、ボスだボスだと言われるようになっただけのことだ。本当のギャングのように犯罪に手を染めるつもりは毛頭なかったし、出来れば関わりたくない連中だった。
「あんまり詳しくは言えねえけど、とにかく俺を立会人にしろよ。立会人を立てれば、サウスタウンのキッズみんなが知ってる決闘になる。ジャックもあんまり悪どいことはできねえ筈だ」
ミッキーの言い分はもっともだった。キングは腑に落ちないものを抱えながらも、ミッキーの提案を受け入れることにした。自らの身と名誉を守るために。
◆◇◆
ミッキーがキングを訪ねた次の日の夜。キングとジャックはミッキーの立ち合いの下で決闘した。
元はと言えば他愛のない縄張り争いだったが、二人のチームの関係は何度かのいざこざを経て決定的に悪化しており、これ以上何もしないでおけばチームの仲間たちが傷ついていくだけだったから、キングも望むところの決闘だった。
武器はなし。お互いが得意なストリートファイト形式で、どちらかが3回ダウンするか、ノックアウトされるまで。それがルールだった。
両者譲らなかったが、巨漢のジャックに比べて体力の無いキングが徐々に劣勢になった。2回ダウンを奪われ、敗色が濃厚になったあたりで、ミッキーがキングに尋ねた。
「おい、まだやるのか?」
「やるに決まってるだろ!」
答えた瞬間。
路地裏の空き地に、強烈なサーチライトが落ちてきた。
あまりの明るさに、ジャックもキングも動きを止めた。
すると、中年の男がメガホンを片手に、投光器の背後からのっそりと姿を表した。キングも何度か非友好的な言葉をかけられたことがある、くたびれたトレンチコートがトレードマークの、その男。
「お前ら! 全員凶器準備集合罪と暴行罪で逮捕だ!」
サウスタウンの警察署の刑事だった。
「なんで警察がこんなとこにいるんだよ!」
ジャックが吠えた。いつの間にか、物陰に隠れていた彼の手下たちが警官に手錠をかけられて空き地に転がされている。
キングがその光景に気を取られていると、背後から痛烈な打撃を喰らった。思わずよろけて、膝をついた。
「これで3回ダウンだな」
振り返るとジャックがニヤつきながら立っている。この非常時に呆れた胆力だ。キングは負けじと怒鳴る。
「てめえ、汚ねえぞ! しかも一対一って話はどうした!? あそこに転がされてる奴らは何なんだよ!?」
「やかましい! お前だってこっそり仲間を連れて来てるのは知ってるんだぜ」
キングは辺りを見回した。仲間が警官に取り押さえられている様子はなかった。無事逃げおおせたのだろうか。
ここでこれ以上揉めているどころではない、と言うのは、両者の一致した見解だった。キングは立ち上がり、顔を動かさずに目線だけで退路を探し始める。ジャックもジリジリ後退していたが、その場のもう一人の男に向き直った。
「ミッキー! てめえ、俺たちを嵌めたのか!?」
ジャックの怒声に、キングも慌てて悪友の姿を探した。ミッキーは警官に囲まれることもなく、悠然と立っていた。キングと目が合うと、すまなそうに眉尻を下げた。
「悪いな、キング。俺も飯を食わなきゃならねえもんでな」
キングは状況を理解した。
ミッキーが言っていた、「ストリート・キッズの抗争が気に食わない奴ら」が、サウスタウンの警察に決闘の日時と場所をタレ込んだのだ。
ボス同士の決闘の時間と場所、ルールを決めるのは立会人、という暗黙のルールがある。ミッキーはそれを利用し、自分の所属する組織の連中が煙たがっているジャックとキングのチームを一網打尽にするチャンスを警察に提供したのだろう。組織に忠誠を示すために。
猛烈な怒りが込み上げた。短い金髪を逆立てて、キングは叫んだ。
「ミッキーてめえ……裏切りやがったな!!!!」
「お前を悪いようにはしねえよ。1週間くらい、臭い飯食って来たらそれで終いだ」
「うるせえ! 嫌なこった!!!!」
叫ぶなり、キングは身を翻した。「逃がすな!」先程のトレンチコートの刑事の声を背に、キングは猛然と駆け出した。「何しやがる!」「動くな!」「キングてめえ、勝負は俺の勝ちだからな!!!!」「黙れ、逮捕だ!!!」ジャックと警官の怒声が交互に聞こえてくるが、キングは振り返らなかった。路地裏を無秩序に走りまくり、警官の足音が遠ざかったと見るや、逃げようと考えていた方角に向けて一気に走り出した。
サウスタウンの金曜日の夜は、いつも以上に人が多く、ほろ酔いの幸せそうな人々が行き交っていた。キングはその中をたった一人、疾駆した。とにかく、逃げ切らねば。仲間たちも無事逃げていることを祈りながら、行き交う人にぶつかったり、転ばせたりを繰り返しながら、野蛮なパトカーのサイレンからひたすら遠ざかるために走り続けた。
どのくらい走ったか。やがて、町外れにたどり着く。キングだけが知る隠れ家だった。
解錠してドアを開けると、閉めっぱなしの部屋にこもっていたカビ臭い空気が流れ出てきた。キングは顔を顰めたが、ここよりマシで警察も追いきれない居場所は、地球上に無かった。きっと自宅にも、仲間と過ごしていた溜まり場にも、警察の手は伸びているはずだった。
毎月の出費が痛いと思いつつ生かしておいた電話に頼るべく、部屋の片隅のボロボロの電話機に手を伸ばした。自宅の番号を恐る恐る呼び出すと、何事もなかったようにジャンが出た。
『お姉ちゃん、どうしたの?』
「いいか、ジャン。姉ちゃんは警察に追っかけられてる。きっと家にも警察が来るはずだ。警察が来たら、大家のクロードおじさんを呼ぶんだ。クロードと一緒じゃない限り、警察と会うな。分かったな」
『わかった』
「警察には、姉ちゃんの居所は知らないし、姉ちゃんから何も連絡がなかったって言うんだ」
『わかった』
「しばらく帰れないけど、絶対帰るからな。何かあったらクロードを頼れ」
『わかった』
「愛してる、ジャン」
『ぼくもだよ、お姉ちゃん』
キングは電話を切り、電話線を引っこ抜いた。逃走の役に立つのかは分からないままに。
それから1週間。
ほとぼりが冷めたな、と思ったのは、キングがストリートで名を上げ始めた頃から懇意にしている情報屋に接触をしたからだった。
ジャックと彼のチームの人間、そしてキングの仲間たちは逮捕されたが、2〜3日で釈放になったらしい。起訴もされない。警察の見せしめだったのだろう、という噂が、巷のキナ臭い連中の間ではまことしやかに語られているらしい。ジャックとキングのチームは解散することになった、という噂も流れていると言う。
「解散するなんて言った覚えはねえ」
キングが言うと、情報屋は答えた。
「お前の仲間はみんな、Mr.BIGの子飼いのキッズのグループに吸収されたよ。返り咲こうと思ったらBIGに喧嘩を売らなきゃならねえ。ジャックの“BLACK CATS”も同じだ。ところで、お前のことはもう警察は追っかけてねえよ。お前の家にも行かなかったみたいだぜ」
それを聞いて、キングは家に帰ろうと決意した。
デニムのポケットに入っていたドル紙幣を何枚か手渡すと、情報屋は「少ねえけど、もうお前もボスじゃねえからな。まけといてやるよ。もう会わねえだろうな、キング」と皮肉に笑った。
何気ない一言だったが、彼女の心には堪えた。
情報屋と別れ、町外れから、ダウンタウンの自宅を目指す。
帰路、何度か警官とすれ違った。キングの内心の緊張をよそに、彼らはキングに全く注意を払わなかった。
道すがら、考える。Mr.BIG。聞いたことはある。キングの見聞きした情報が正しければ、とびきり冷酷なギャングの組織の幹部らしい。キングとジャックが仕切る界隈を狙っているとは思わなかったが、自分の認識が甘かったようだ。
もしかしたら、キングとジャックのチームの抗争も、仕組まれたものだったのかもしれない。抗争からの決闘。全てがBIGの筋書き通りだったのかもしれない。たまらなく不愉快だったが、思い当たる節はいくつかあった。ちきしょう馬鹿野郎が、とキングは内心で毒づいた。自分の甘さと、ミッキーの裏切りと、ギャングたちの狡猾さに対して。
ともあれ、BIGはサウスタウンの下町の一角を手に入れた。大した広さではないが、人口は密集している。キングには全く興味がないものだったが、私腹を肥やすことが出来るくらいの“上がり”を手にすることは出来るのだろう。
やがて、自宅の近くまで来た。慣れ親しんだ界隈だが、宵の口からバーの出入り口に屯していた自分のチームの連中の顔はなかった。代わりに、ストリート・キッズよりもタチの悪そうなゴロツキが数人、街角でタバコを吸っているのが目についた。
あまりシャワーも浴びていない、汗臭い自分に顔を顰めながら、自宅のドアの前に立つ。周囲を伺うが、人の気配はしなかった。ドアに耳をつけて中の音に耳を澄ます。どうやら子供向けのアニメのような音が聞こえてくる。
キングは心底安堵してから、もう一度注意深く周囲の様子に気を配り、そして改めてドアを開けた。
「ただいま」
玄関から隔てるものの無い、狭いリビング兼ダイニングの椅子に腰掛けていた弟が顔を上げた。喜色が彼の頬を薔薇色に染めた。治療中の片足を引きずりながらも早足でキングの元に駆け寄る。
「お姉ちゃん!」
「ジャン、ごめん」
キングは弟を思い切り抱きしめる。
「いきなりいなくなって悪かった。ご飯は食べてた?」
「うん。冷蔵庫のもの食べたりとか、クロードが差し入れをくれたりした。あと、お姉ちゃんの友達のミッキーが来てくれて、ご飯置いてってくれたりした。薬がなくなりそうになったら、病院連れてってくれた」
「ミッキーが?」
キングの秀麗な眉間に盛大な皺が寄った。
ジャンは頷く。
「お姉ちゃんが帰って来なくなってから、毎日来てくれてた」
「お前、あいつをうちに入れてたのか」
キングは自分の失策に内心で大いに冷や汗をかきながら言った。幼い弟は、素直に頷く。
「だってお姉ちゃんの友達でしょ」
「…………………」
キングは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それには何も答えなかった。
シャワーを浴びて、清潔な衣服に着替える。すっきりした心持ちで部屋に戻ると、
「よう」
ミッキー・ロジャースが、勝手知ったる様子で椅子に腰掛けていた。
キングの青い瞳に稲光のような怒気が満ちる。電光石火の素早さで、キングはミッキーの顎を蹴り上げた。
盛大な物音と共に、ミッキーは椅子ごと仰向けにひっくり返った。
「………………………いてえ」
ミッキーは半分うめきながら、よろよろと身を起こす。キングは更に容赦ない蹴りを、もう1回浴びせた。辛辣な蹴撃はミッキーの顔面に決まり、彼の鼻からは血が噴き出した。3発目を見舞おうと身構えると、ミッキーは流石に手をあげて、キングに赦しを乞うた。
「やめてくれ、死んじまう」
「うるせえ。死んじまえ」
「お前をダシにして悪かったよ。それは謝る」
「仲間は無事なんだろうな?」
「無事だよ。みんな丸ごと、BIGのネットワークに抱え込まれたよ」
ミッキーの言葉に、キングは安堵した。
ボスとしては中途半端な終わり方で不本意ではあったが、怪我さえなければ、最低限の責務は果たせたと思えた。
「キングよ、お前に会いたがってる奴がいるんだよ」
ミッキーは、ジャンが差し出した紙ナプキンを受け取り、鼻血を拭いながら言った。
「ジャン、こんなやつに親切にしなくていいぞ。こいつはすぐいなくなるから」
キングはミッキーの言葉には答えず、弟に言う。
「おい、キング。ひでえな」
「お前に言われたくねえよ。今すぐ出てけ、馬鹿野郎が。もう2度とその面見せるんじゃねえぞ」
「お前さ、これから何やって飯食うんだよ」
「今まで通りだよ」
「サウスタウンのストリートファイトの胴元はMr.BIGになった。これからはMr.BIGに目をつけられたらストリートファイトで稼げなくなるぞ」
「なんで俺がBIGに目をつけられるんだよ? シマも仲間も取り上げられて、俺に何が残るって?」
我ながら情けないセリフだと思いながらキングは言う。情報屋の言葉と、少し変わった街の風景が、1週間前までとは自分の立場が大きく変わったことを教えてくれた。自分はストリート・キッズのボスでは無くなった。大して執着もしていなかった地位だったが、仲間とはもう、かつてのように気安い時間を過ごすことができないのだと思うと辛かった。
「さっき言った、お前に会いたがってる奴ってのは、Mr.BIGだ」
「なんだってそんなのが俺に用があるんだよ」
「お前を雇いたいんだってよ」
「お断りだよ」
ミッキーはキングの反応を予想していたのか、その言葉には軽く肩をすくめただけだった。ミッキーは答える。
「BIGはお前がお気に入りだ。BIGは強い奴が好きなんだ。ジャックもBIGの組織に加わったぜ。お前もそうしろ」
「嫌なこった」
「選択肢はねえよ。この街でBIGに目をつけられたら、生きていけねえ。だけど、BIGに従えば、飯が食える。ジャンの病院だって変わらず通える」
「…………………」
キングは黙り込んだ。
「さっきも言ったが、BIGはお前のことが気に入ってる。悪いようにはされねえよ。お前がいない間のジャンの飯代だって、薬代だって、BIGが出したんだ」
「俺はギャングの仲間には入らねえぞ」
キングは言った。ミッキーは頷く。
「適材適所、ってな。喧嘩が強くてエレガントなやつにうってつけの仕事が、一つ空いてるってさ」
「何だ、そりゃ」
「まあ、とにかく俺と一緒にBIGに会いに行こうぜ。……なあキング」
ミッキーの口調が少し変わる。
いつかのように、悪態をつきながら、自分を介抱してくれた時の口調だった。
「悪かった。許せとは言わねえ。でも、俺も生き残りたかった」
ミッキーとキングの視線が正面から交わる。そこには、1週間前と変わらない友人の姿があった。
「………ジャンのさ」
キングは口を開いた。
「薬とか。ありがとう」
「金を出したのは俺じゃねえ」
「でも、連れてってくれたんだろ。病院とか」
「大したことじゃねえ」
ミッキーは目を伏せる。
キングもつられて、目線を落とした。ミッキーの、VANSの古びたスニーカーが目に入った。相変わらず薄汚れていて、それがミッキーの変わらなさを示しているようだった。
「わかったよ。会いに行ってやる」
キングは答え、椅子に引っ掛けていたジャケットを手に取った。
「ジャン、ちょっと出かけてくる。誰が来てもドア開けるなよ。鍵かけとけ」
と告げると、弟は素直に頷いた。
「先に寝てるね」
「ああ、そうしてな」
「おやすみ、お姉ちゃん。ミッキー」
ジャンに見送られ、二人は部屋の外に出た。風は生ぬるく、こんな下町にも猥雑なネオンサインが満ち、視界の端に見える夜空は濁っていた。遠くからしじまを縫ってパトカーのサイレンが聴こえる。1週間前と何も変わらないはずなのに、しかし何もかもが違って見えた。
仲間と馬鹿話をしてビリヤードを打ち、ストリートファイトで日銭を稼ぐ。そんな、気楽な日々が終わったのだとキングは悟った。実際のところ、彼女は18歳だった。成人と看做され、選挙権も持ち、運転免許も取れる年齢だった。だが、自分の中に僅かにでも残っていた、子供の時代が今まさに終わろうとしていることを、キングは改めて知った。
今、隣に立つ友人すら、もう完全には気を許せないのだ、とキングは思った。大人になるとは、人は孤独だと言うことを知ることなのかもしれなかった。
寄るべなく、やるせない。
その一方で、自宅に置いてきた弟のことを思った。彼だけは守らねばならない。何を置いても。
キングは少しため息をついた。それを聞き咎めたか、ミッキーが問う。
「どうした」
「どうもしねえ」
キングは答える。
そして、付け加えた。
「やってやるよ。なんでもな」
ミッキーの返事はない。ただ、黙って歩く。
賑やかな夜の街。馴染みの道。馴染みの店。きっと明日からは、また別の眺めに見えるのだろう。そして自分も、今までの自分とは違う自分になって行く。キングはまた少しため息をつく。ミッキーは今度は何も問わない。二人は黙って、雑踏を歩き続けた。
fin.
2021.7.18 pixivにて初出
キングさんのプロフィールをちょっと深掘りすると出てくる「サウスタウンの不良グループのボスで、同じく不良グループを束ねていたジャック・ターナーと抗争の上敗北。Mr.BIGの軍門に降る」という部分をちょっとフューチャリングしつつ、「悪友」という設定がついてる割になんの描写もないキングさんとミッキー・ロジャースの関係を想像してみたお話。80年代アメリカの不良少年の物語と言えばバイオレンス・ブロマンス・コミックの金字塔「BANANA FISH」なわけですけど、そんな匂いも出るといいな〜とか、映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」とかその辺の記憶をごちゃごちゃと混ぜてサウスタウンの喧騒を書きたいな〜とか、そんなことを思いながら書きました。
キングがこの頃どうやって糊口を凌いでいたのかは分からないけど、もしストリートファイトで稼いでいたなら、リョウと知り合っててもおかしくないよね〜。
(2022.8.28 コメント追加)