sunlight, sunny, her and us.

11月、2週目。
ハロウィンも終わって、街はクリスマスの装飾がぼちぼちと始まったところだけれど、まだみんなそんな気分じゃない。まだ街は平常運行で、それは私たちも変わらない。
木箱に入った空輸の荷物が、我が家に届いた。
それとは別に一通のエアメールも、同じ日にポストマンが持ってきてくれた。
ロンドンの消印が押されたそのエアメール。便せんには洒脱な文字で、こうしたためてあった。

“Messieurs et mademoiselle,
今年の新酒を別便にてお送りしています。
ご賞味あれ。”

ヨーロッパのキングさんからの、年ごとの粋な贈り物。
毎年、ボジョレー・ヌヴォーの季節になると、キングさんは我が家に新酒を届けてくれる。
キングさんが経営しているバー、「イリュージョン」にワインを卸しているシャトーから、特別にひと箱送らせてくれているらしい。私はワインの味はよくわからないのだけど、「当たり年」のワインであろうと、「外れ年」と云われていようと、逸品ばかり。とは、お父さんの弁。
解禁日の少し前に送られてくることがほとんどなんだけど、暗黙の了解で、解禁日までは封を開けないって云うことになっていた。そして毎年、私が腕によりをかけてご飯を作る。それを家族でゆっくり食べながら、日付が変わるのと同時にワインのボトルを開けてみんなで味わう。そう、11月のうちの年中行事と云えば、サンクスギビングと「ボジョレー・ヌヴォー」かもしれない。
そんな嬉しい贈り物があった週の、ある夜のこと。
「もうすぐユリの誕生日だから、明日プレゼントを買いに行こう」
兄と私とで晩御飯の後片付けをしてると、彼がそんなことを云ってきた。
そうは云っても、私の誕生日って、12月の頭なんだけど?
「まだ、3週間くらい先だよ?」
「実際の誕生日はロバートに会うんだろ? だから早めでいいじゃないか」
食器を拭きながら、兄は云った。
うわあ、ばかばか。
そんな、お父さんの前で、あからさまにデートの話とかしないでよ、お兄ちゃん。
「うんまあ、そうだけど……」
私は曖昧に語尾を濁しながら、リビングで読書をしている父の後ろ姿をチラッと見た。
父は本に熱中しているのか、そもそも二十歳過ぎの娘がデートのひとつやふたつしたところで気にはしないのか、何も反応してこなかった。ほっ。
そんな私の内心には全く気付いてない様子で、兄は言葉を続ける。
「明日セントラルシティの方に買い物に行こう。他に予定あるか?」
「別に無いよ」
「じゃ、決まりだな」
お皿を全て拭き終えて、食器棚に片付けた兄は、「シャワー浴びて寝る」、と云い残してダイニングを出て行った。
一仕事終えた私は、冷蔵庫からジュースを取り出してグラスに注ぐと、それを持ってリビングに行った。
父の隣に座り、テレビのスイッチを入れる。テレビからは軽快なBGMと共に、通信販売番組のいかにも取ってつけたような笑い声が流れてくる。
父はペーパー・バックに目を落としたまま。ジョン・アップダイクの「クーデタ」? 随分しぶいの読んでるね。
テーブルの上の茶飲みが空っぽだったので、私は父に尋ねた。
「お父さん、お茶のお代わりは?」
「いや、大丈夫だ」
「お父さんも明日、一緒に買い物行く?」
「明日は予定がある。おまえのプレゼントは、また日を改めて買ってやろう。何が良いか考えておけよ」
「うん……ありがとう」
私は頷いて、テレビに目をやった。
ブラウン管の中では、マッチョな白人青年がダイエット効果があるというトレーニングマシーンを操作し、さわやかな笑顔を浮かべている。
“ワオ、ジョージ。あなた本当にスリムになったわね”
“そうだろ? それもこの『マッスル・バーナー』のおかげさ!”
“効果は1カ月ほどで現れます。これであなたも、スッキリとしたハンサム・ガイに変身! 気になる彼女の心もバッチリゲットです!”
……云々、かんぬん。
うーん、うそくさい。筋肉だったら3カ月は必要だよね。
「“ジョージ”の顔、さわやか過ぎて胡散臭いなあ。……歯も白すぎ。絶対美容歯科行ってるよー。わざとらしーっ」
私の悪口にもめげず(あたりまえだけど)、“ジョージ”はブラウン管の中で歯をきらめかせ続けている。
「ちょっと、ぷ! うそくさーい、胡散くさーい!」
「ユリ、静かにしなさい」
あれ。怒られちゃった。
ま、よくあることだけど。本当にそれは、いつもと変わらないうちの風景だった。

◆◇◆

11月だと云うのに、随分と温かい日差しが注いでいる。私も兄も、半袖の上に一枚羽織りものを引っかけただけ、という軽装で出かけた。うちの車は父が乗って行ってしまったので、地下鉄を乗り継いでセントラルシティへ向かう。
街の中心部にほど近いショッピングモールは、平日だと云うのに結構な人出で賑わっていた。
「どのお店がいいかなあ」
私は、インフォメーションペーパーとにらめっこ。マップとお店の名前を交互に見ていく。そういえば、友達のエレンお勧めのショップが確かここに入ってたはず。あ、あったあった。
「私、このお店見たい」
「おう、どこだ」
今度はマップと、館内表示を見比べっこしながら、いくつものショップが軒を連ねる吹き抜けの廊下を歩く。エスカレーターに乗ってフロアを幾つか通り過ぎて、レコードショップの前でガンガン流れてくるレディー・ガガの新曲にステップを踏みつつ、玩具屋さんの店先に陳列されたおもちゃに目を奪われつつ、エレガントなカトラリーや食器を扱うお店の綺麗なディスプレイにため息をつきつつ、フロアの端にほど近いアクセサリショップにたどり着いた。
さまざまな色みのストーンを用いたアクセサリが、こじゃれた什器に並べられていた。お店の店員さんも耳や首にいくつかのアクセサリを付けて、すごくファッショナブル。私たちの他にも、何人かのお客さんが、気に入った商品を手に取ったり、鏡の前で試着をしたりしてる。
ガラスケースの中から、ゴールドやシルバーのアクセサリたちが、「さあお嬢さん、私をごらんなさい」ってな感じで私を手招きしていた。私は思わず吸い込まれるように近寄って、それを覗き込んだ。
「うわあ、可愛い」
思わずそんな嘆声が漏れる。
ゴールドのフープの先端に、木の実のようにレッドチル・クォーツが散りばめられているピアスがあった。すっごく可愛い。そのピアスのお値段、実に300ドル。しかも片耳で。むむ。さすがに高いか。でも、お誕生日だし、べつにいっか。なんて思いながら、私はそのピアスを見つめ続ける。ピアスちゃんは、「どうですかお嬢さん、可愛いでしょう?」とでも云わんばかりにストーンを煌めかせている。はい、可愛いです!
「試してみてくださいね」
私がそうやって無心にピアスちゃんとの会話を続けていたら、店員さんがにこやかに話しかけてくれたので、試していいですか? と尋ねた。もちろん、と答えて店員さんがショウケースの中からピアスを出してくれる。手にとって耳にあてがうと、薄い緋色の輝石が、私の耳元でゆらゆらと揺れた。けっこういい感じじゃない?
「可愛い! お兄ちゃん、これ、どうかな? ……って、あれ」
兄の姿が、どこにもない。
私の買い物に付き合わされるとき、彼は私がお洋服なんかをとっかえひっかえしてああでもないこうでもないって云ってる最中は、いつもお店の外でボケーッとしてるか、勝手にスターバックスでコーヒーを飲んだりしてるのが常套パターンだった。
きっと居心地が悪いんだろうなとは思うんだけど、私は兄のそんなところが駄目なんだと思う。
だって、ロバートさんは私と一緒になってきゃあきゃあ云ってくれるもん。
女の子的には、そういうのが嬉しかったりするわけで。
だからお兄ちゃんは、モテないのよ。
と、内心で兄を弾劾しつつ、お店の外に目をやった。ショッピングモールの大きな通路の端っこには、お客さんの休憩用にと設えられたベンチがいくつも並んでいたけれど、そこではおじいちゃんおばあちゃんが仲良さそうにマクドナルドのコーラを飲んでいる姿があるだけだった。
「お連れ様なら、さっき外に出て行かれましたよ。困った彼氏さんですね」
「彼氏じゃありません、兄です!」
私が黒髪で兄が金髪なためか、それとも根本的に顔立ちが似てないのか、しょっちゅうされる勘違いを訂正しつつ、私は店の出口に近付く。すると、何やら大きなショッピングバッグを抱えた兄が、いつもと変わらない足取りでお店に入ってきた。
「ちょっと、どこ行ってたのよ」
「ああ、すまん、すまん。どうだ? 気に入ったの、あったか?」
私のブーイングをさらっと受け流し(兄はいっつもこうやって私の抗議その他を聞いてないフシがある)、兄は私にそう尋ねてきた。でも、私のほうが聞きたい。何、そのでかい買い物袋。
「っていうか、何なの? その買い物」
「親父の頼まれものだよ。ジャンへのさ」
「ああ!」
私は納得した。毎年キングさんから届くボジョレーのお礼に、ジャンへおもちゃや学用品や本なんかを送っていたのだけど、その買い物も父から言付かっていたらしい。
ショッピングバッグの中からは、最新のゲーム機が覗いていた。お父さん、ずいぶん奮発したな。と、少しびっくり。でも、それを買いに行っていたのね、と思えば、いきなりいなくなるのも許せた。
さて、今日の主題の、私の誕生日プレゼントを選びましょう。
「お兄ちゃん、これどう?」
と、私が尋ねると、兄が答える。
「ああ、良いんじゃないか」
「ちゃんと見てる? どう良いのか云ってみてよ!」
「ん? ああ、そうだな……うん、赤い石が、よく合ってる」
「ほんとぉ~?」
絶対適当なこと云ってるよ、と思いながら、私は兄を下から睨んだ。
「おいおい、怒るなって。本当だぞ? 似合ってる似合ってる」
「お兄ちゃんが言いだしっぺなんだから、ちゃんと一緒に選んでよ!」
「ああ、そうだよな。悪い悪い」
兄はそうやって取り成すように笑うと、私の隣でアクセサリをのぞきこんだ。
私も気を取り直し、その他に気に入りそうなものはないか、一緒になって眺める。薄いピンク、透明度の高いブルー、鮮やかなグリーン。ストーンって、本当にいろんな種類があって、どれひとつとして同じものが無いんだなあ。照明を反射してきらきらと輝いて、本当にキレイ。
そのショップのアクセサリは全体的に、ゴールドベースのボディに色々な石がついている、と云う感じのものが多かった。繊細なワイヤーやチェーンが使ってあって、なんだか大人っぽいデザインだ。
「可愛いよね。でも、ちょっと大人っぽいかなあ」
私は、ちょっと我に返って、そんなことを云った。一般的に、合衆国では東洋人は若く見られがちだ。私も半分日本人だから、実年齢よりも幼く見られることが多い。あまり子供っぽく見られないように気をつけてはいるけれど、やはりこういうショップに立ち寄るたびに、己の見た目の幼さを思い知らされることが多かった。似合わない、のだ。徹底的に。たとえばこのお店を教えてくれたエレンっていう友達が、「ここで買ったのよ」と云って見せてくれたブレスレットは、それはそれは彼女に似合っていたのだけど。
「そうか?」
「このお店、友達のエレンが教えてくれたんだけど、エレンは大人っぽいし、金髪だからこういう鮮やかな石とゴールドのベースが合うんじゃないかなって。私は、シルバーベースのほうがいいかなあ」
と、私は兄の意見を仰ごうとした。
「そういうもんなのか」
兄はそんなことを云いながら、感心したようにうなずいている。ううん。これは駄目だ。私はため息をついた。
「お兄ちゃんは、女の子の買い物に付き合う才能がないねえ。私が何云っても、“そうか”って云ってばっかり」
「解らんもんは解らんからなあ」
と、兄は気分を害した様子もなく、私の憎まれ口をまたしても受け流した。
「ロバートさんは色々アドバイスしてくれるよ」
「そりゃおまえ、あいつはそうだろう」
「お兄ちゃんも頑張ってよ」
「努力はするよ」
全然期待できない努力表明だ。
「ユリにはこんなのどうだ。可愛いぞ、ウサギ」
と、兄が迷う私に話しかけてきた。兄が嬉しそうに指差した先には、ラインストーンで出来たウサギのブローチが、それはそれは愛らしく、キッチュに光っていた。
──。
どうせ私は、ウサちゃんブローチですよ。
私は全く乙女心を理解しない兄に、深く深く内心でため息をついた。

結局、兄の懐事情も思いやって、私は有り難くそのウサちゃんブローチをプレゼントしてもらうことに決めた。
試しに元からかぶっていたニットキャップに付けてみたら想像以上に似合ってしまったので、もうこれは運命だと思って、私はウサちゃんをお迎えすることにしたのだった。
「ラッピングしてもらうから外で待ってろ」
と、兄に云われ、私は先ほど老夫婦がコーラを飲んでいたベンチにひとり腰掛けて、兄を待った。
ふと思いついて、そばのコーヒーショップでふたつコーヒーを買い、ベンチに戻る。待っているけれど中々来ない。うーん、何やってんのかな? お金足りないのかな? と心配になってきた頃、今いたアクセサリーショップとは別の方角から兄が歩いてきた。いつもののしのしとした歩き方のおかげですぐに見分けがつく。さっきの玩具屋さんの大きなショッピングバッグが、やけに目立っている。
「待たせたな。はい、誕生日おめでとう。ちょっと早いけどな」
兄は満面の笑みを湛えて、私に改めてプレゼントを差し出してくれた。
これは、素直に嬉しい。
小さいころからこうやって、兄は私の誕生日をお祝いしてくれた。小さいころは色々あって大変で、プレゼントは無かった。でも、兄の気持ちはちゃんと伝わってきていた。大人になってからもそれは変わらなくて、それどころか、「小さいころには何もできなかったからな」と、やたらと気合の入ったものをプレゼントしてくれるのが少し申し訳ないくらい。
「ありがとう」
私はそれを受け取った。自然に笑顔になる。
「これは御礼です」
とコーヒーを差し出すと、兄は「おお、ありがとう」と云いながらそれを受け取ってくれた。
「えへへ。さっそく付けちゃおうかなあ」
私はベンチに腰掛け、兄に渡されたショップの紙バッグを開ける。
と。
お店のシックな包装紙に包まれた化粧箱の他に、別のお店の包装紙に包まれた箱が、もうひとつ。
「あれ? ふたつ入ってる」
「あっ!」
その瞬間、兄が目にもとまらぬ速さで、私の手から紙のバッグをひったくった。
ごそごそと片方のラッピングを取り出して、玩具屋さんのショッピングバッグに放り込む。
「何それ」
「お、俺の分だよ」
「お兄ちゃんの!? アクセサリー!?」
私はまたしても、素っ頓狂な声をあげてしまった。道行く人の視線が痛い。でも、変なのは私じゃなくて、目の前の兄なんです、みなさん。
お兄ちゃんは、もともとあまり服装に頓着しない。
着られればいい、くらいに思っている。
やたらとおしゃれに気を遣いすぎて、かえって変なことになってた、コミュニティ・カレッジのクラスメートの男子よりは潔いとは思う。
でも、妹として「それはどうなの?」って思うことのほうが、圧倒的に多い。
いつも手ぶらで、財布はジーンズのヒップポケットに突っ込んでいるし、足元もスニーカーか下駄。
ジーンズ、チノパン、夏はハーフパンツを履き回し、トップスはTシャツかポロシャツ、冬はパーカーとフリース。予定表でもあるのかと訝ってしまうくらいにいつも同じような服をローテーションして着ている。
ひどいときは作務衣とか甚平に雪駄で出かけてしまうし。
よく行くデリのおばちゃんに、「またリョウがニンジャの服着てたわよ」って云われて、スッゴイ恥ずかしいし。
そんな兄は、煩わしいからと云って、腕時計だって嫌う。
そのお兄ちゃんが、アクセサリーですか?
青天の霹靂。天に蛇行する龍を見るとは、このことだ。
私が唖然としていると、兄が訂正した。
「アクセサリーじゃない、別の店のだよ」
「どこの?」
と、私が尋ねると、
「その辺の」
兄は涼しい顔をしている。
何よ。私のこと放ったらかしてどっか行っちゃったり、自分の買い物までしちゃったり。
「もしかして、ユリのお買いものは、それのついで?」
そう、私は意地悪く云ってみた。
「おいおい」
と、兄は少し困ったように笑った。
「ユリのプレゼントだぞ? ついでなもんか」
私の顔を覗き込んで、軽く私の手を握る。ご機嫌をとるように兄は云う。
「腹減ったろ? 何か食って帰ろう。俺がおごるからさ。何食いたい?」
私がどう云うタイミングで、どう云うことを云われたらご機嫌を直すのか、完璧に解りきっているお兄ちゃんならではの、絶妙のスルーパス。
私はそれを黙殺することは出来なかった。
「ラップサンドイッチが食べたい」
「よし、じゃあそうしよう」
兄は立ち上がって、私を促した。私も素直に後をついていく。
午後に差し掛かりだしたショッピングモールには、天窓からの温かい陽光が注いでいる。兄が担いでいるショッピングバッグの上で、玩具屋さんのキャラクターのきりんくんが、のんきにウインクしていた。

モールの中のラップサンドイッチ屋さんの席に陣取ると、兄が私のお気に入りのメニューを買ってきてくれた。いただきます、とどちらからともなしに口にして、しばし無言で頬張る。お互いひと心地ついたところで、私はおもむろに口を開いた。
「ところで何買ったの?」
「……何でもいいだろ」
兄は決まり悪そうに私から目線を逸らした。いよいよ普段の彼らしくなくて、私の中でさっきからむくむくと湧き上がっていた疑念は確信に変わった。
正直に話してくれれば穏便に済ませようと思っていたけど、あくまでしらをきるつもりの兄にちょっと腹が立つ。そんなに秘密にしなくてもいいと思う。私は、ロバートさんとデートすることとか、隠さないもん。聞かれるまでは特に自分からは云わないけど。
「……キングさんに何買ったの?」
「……………………ワイングラスだよ」
観念したように兄は云った。
やっぱりそうだったのかと腑に落ちる。ジャンだけじゃなくて、キングさんにも何かを贈ろうと、ふと思い立ったんだろうな、お兄ちゃん。
こうやって気まずそうにするってことは、少しはお兄ちゃんの中でも何か思うところがあるのかな、と私は意外に思った。正直、兄と、イギリス住まいの私たちの友人の関係というのは、周りの人間からすると不可思議なところがあったので。
何と云ったらいいのか…、蕾の付いた花を、水もやらないけど、すごく大事に持ってる、という例えなら伝わりやすいかな。お水やらないとその花萎れちゃわない!? と普通の人は思うだろうけど、不思議なことに全然萎れない、みたいな。
兄は憮然とした顔で2個目のラップサンドイッチに手をつける。そんな兄の顔を見ながら、思いついて云ってみた。
「お兄ちゃん、直接渡しに行こうよ。ボジョレー、一緒にお祝いしよう」

◆◇◆

地下鉄のオックスフォード・サーカスの駅で降りて、階段を登り切る。交差点にはびっくりするくらいたくさんの人がいて、みんな足早に目的地へと向かっていた。冷気がすうっと、着込んだダウンジャケットの隙間から忍び込んできた。
「寒いね~。もう、真冬だね」
「全くだなあ。サウスタウンが温かすぎるって云うのも、あるだろうが」
普段は全く厚着というものをしない兄も、珍しくノースフェイスのダウンジャケットを着ている。
雨がうっすら降っていて、それも寒さを助長していた。ロンドンはよく雨が降るけれど、私たちは傘を持ってこの街に来たことがない。でも初めて自分たちのそんな無頓着さを、少しだけ後悔した。
「サウスタウンなんて、まだ半袖の人いるのにね」
うう寒い、と云いながら私は兄の影に隠れた。
「こら、俺を風除けにするんじゃない」
「だってえ~」
すっかり覚えた道順通り、私と兄は歩く。そんな私たちの傍らを、たくさんの人が歩いて行く。誰かと待ち合わせしているのか、おうちで誰かが待っているのか。木曜日の夜、誰も彼もが少しうきうきとした顔だった。
「ほら、着いたぞ」
大きなバックパックを担いだ兄が振り返る。片手には、これまた大きなショッピングバッグを携えて。
「Illusion」と云うお店のサインがダウンライトの下で霧雨に濡れてきらきらと光って見えた。
「お兄ちゃん、開けて」
私の声に応えて、兄がドアをカランカランと開ける。
高い天井からの間接照明が、レンガづくりのシックな壁を浮かび上がらせている。
開店準備はほとんど完了しているようだった。
カウンターの奥で、キングさんが私たちを見とめ、笑った。

「いらっしゃい。待ってたよ」

fin.


2021.6.13 pixivにて初出
fog,drezzle,you and me.」と云うお話に合わせて改稿して完成させた、昔の書きかけだった小説。
リョウ✖︎キングというか、どうもこいつらの仲があやしいぞみたいな感じの二人が背景なのは確かなんですけど、キングさんほっとんど出てきません。仲良しなリョウとユリを描きたくって書いたんだと思います。楽しかったです! 私の頭のなかのサカザキ家はこんな感じ。みんなちょっと(?)空手が強いだけの、至って普通のファミリーであります。