ミーツ・ボーイ

エンドールと云う街は、あやしくも不思議な街です。
私が占い師を生業として暮らしていたモンバーバラとはまた違う、力を持っている。
モンバーバラが、いつでも太陽に照らされて、いつでも人々の「ナマ」の感情をむき出しにさせるような、野生に満ちた街とすれば、エンドールは、いつまでも仮面舞踏会が開かれているような、宴の余韻をずっとずっと引きずっているような、闇を秘めた街です。その闇がゆえに、エンドールの夜は、遣る瀬無く、美しく、刹那のきらめきを見せるのでしょう。
ハバリアから、傷ついた体と、打ちひしがれた心を、引きずるようにしてエンドールの港に着いたときのことを思い出します。港の彼方にエンドールの白亜の王城が見えました。お城と云うものを見たのはキングレオ城に続いてふたつめ。キングレオ城に比べて、あまりに大きく、美しいことに驚きました。白壁が太陽の光を反射し、まぶしいくらいです。私たちは、手当たりしだい当座の荷物を詰め込んだ皮袋を引きずりながら、その壮麗なシルエットを見たものでした。
私「たち」と云うのも、私がエンドールにやってきたとき、私には連れがありました。私の実の姉、名をマーニャと云います。その人柄は、モンバーバラの享楽と誘惑と狡猾を、人間を依り代にして作り上げたような、と形容したら良いでしょうか。腰まで波打つ紫水晶アメジストの髪。あやしく煌めく琥珀アンバーの瞳。大陸の苛烈な陽に灼かれた、しなやかな黒い肌。その雌豹のような肢体を辛うじて覆う、踊り娘の衣。南西の大輪の扶桑花ハイビスカスのような美しくも驕慢な姉。
彼女がエンドールの魔力にとりつかれたのは、当たり前といえば当たり前かもしれません。
それこそ花畑のように、さまざまな人々が行きかう大通り。空が白むまで止むことのない喧噪。酒場には世界中の美味珍味がつどい、世界中の美姫が妍を競い、恋の徒花を夜毎に爛漫と咲かせます。人間の欲望に忠実に彩られた大都市、それがエンドールです。猥雑と高雅が同居する街。それは人生の縮図。
人生を愛し、苦しみすらも是として謳歌する我が姉がそれに魅せられないわけはありませんでした。月借りの宿屋を押さえたその夜から、姉は下町の酒場に繰り出し、あっと云う間に人気者になってしまいました。もともと社交的で人好きのする姉のこと。酒場や賭博場カジノに次から次へと顔見知りを作り、朝まで帰ってこないこともしばしばでした。
私の生業も、宵の口から深夜までがいちばんの稼ぎどき。占いのお客様というのは、たわむれ半分の酔客の相手が大半ですが、中には真剣なまなざしで、来し方の悪運を嘆き、行く末の幸福を願う方もいらっしゃいます。エンドールで辻占いを始めてしばらくは、そのたわむれ半分のお客のほうが多かったのですが、しばらくすると人生の勝負時を私の占いに託すようなお客様ばかりになっていました。エンドールにやってきてふた月、早春の風がいつの間にやら初夏の風に変わっていることも気づかぬほどあわただしい日々を過ごすことになってしまい、尋ね人や失せ物の行方を水晶に尋ねているうちに、肝心の私たちの尋ね人を探すひまがなくなってしまいました。
それというのも、姉、マーニャがいけない…のだと思います。エンドールの見せる泡沫の魔法にすっかり魅せられ、今日はあの酒場、今日は賭博場カジノ、と蝶々のように遊びまわってはお金を使ってきてしまうのです。月借りの宿代とてばかにならず、仕方なく日々の糧食を購うお金を間に合わせようとしているうちに、こんなことになっていたのです。とはいえ、エンドールのような大都会で、夜、辻に立つのは危険なもの。私も何度か地回りのやくざに因縁をつけられかけましたが、姉のおかげで難を逃れたのも確かではありますが。

「姉さん、もうこの街にやってきて2ヶ月も経つのよ。いい加減にエンドールも遊びつくしたでしょう。そろそろ本気で人探しを始めないと」
それは、エンドールの街路に植えられた鈴懸の木プラタナスがいつの間にか花を落としているのに気づき、愕然としてしまったあくる日のことでした。寝台で丸まって寝ている朝帰りの姉の枕元で、私は彼女にそう云ったのです。折りしも、その週は、エンドールの王女、モニカ姫と、隣国ボンモールの王子、リック王子の婚礼が執り行われた週でした。街中に彼らの肖像画が張り出され、お祝いムード一色。姉のお祭り好きにも拍車がかかり、姉は毎晩遊び歩いているような有様だったのです。
「わかってるわよお…ああ、頭痛い」
姉は布団から顔も出さずに云いました。
「本当にわかってるの?姉さん、せめて起きて欲しいのだけど。もう夕方よ」
「寝かせてよー」
「寝かせてよー、じゃないわよ、姉さんったら」
私は眉をひそめました。そのとき、布団がもそもそと動き、姉が顔を出しました。お酒に浮腫んで、見苦しいったらありません。
「あたしだって、ちゃんとやってるわよお、仲間探し」
姉は不機嫌な顔でそう云いました。
そう、父の仇を討つ旅に出た私たちですが、仇と付け狙う男は思いもかけぬ邪悪な力を手に入れていました。旅の途中に立ち寄った祠の巫女に託宣を受けたとおり、私たちは仲間を…邪悪に対抗する正義の力を…探さなくては、あの男にかすり傷ひとつ負わせることも出来ないのです。
そのために、貿易の中心都市でもあり、大陸の要所でもある、ここエンドールにやってきたのです。
「顔見知りは星の数ほど。その人たち一人一人に、魔物退治をやってる冒険者、5人ほど、知りませんかー、勇者さま知りませんかーって、聞いてるわよお」
「どうせ酔っ払いに聞いてるんでしょう?もっとまじめに探してよ」
「人の口ってのは、案外侮れないもんよ。そんなに云うんだったらさあ、あんたのその、後生大事な水晶玉に聞いてみればいいじゃん。有名占い師のミネアちゃん」
「自分のことは占えないって、姉さんだって知ってるでしょう?」
「そーだったかしらねえ」 姉は起き上がって、髪をかきあげました。怠惰だけれども、零れるような色香漂うしぐさです。エンドールに姉が魅せられたように、また、エンドールも姉に魅せられたのかもしれません。
「ま、なんでもいいけど。あたしお風呂、入る」
そう云って姉は立ち上がります。はしたないことに、一糸まとわぬ姿です。
「もう!姉さんったら!」
姉の優雅な後姿を見送って、私はため息をつきました。
実際、この大都会で人探しをするのは、容易なことではありませんでした。私の占いを訪ねてくる方の中でも、武人とお見受けする方や、冒険者の姿をした方には特に注意を払ったり、エンドールで幅広くご商売をなさっている方に尋ねてみたりもしたのですが、果々しい答えが返ってきたためしはありませんでした。
街路の鈴懸の木がこのまま緑の葉を茂らせ、その葉が黄色に染まってもまだ、このエンドールで延々と人探しを続けているとしたら。私は、そんなことを考えて、自分でも気づかない焦燥に囚われていたのかもしれません。そうとは解っていても、それでも姉に苛立ち、私はまた大きなため息をつきました。
「あ、そうそう」 浴室の扉から、姉が顔を出します。「あんたさあ、焦ったって、しょうがないよ?エンドールのほんの入り口にあたしたちは立ったばっかりなんだから」
「ほんの入り口でふた月?じゃあ、真ん中くらいまで行くにはどのくらいかかるのかしらね?」
「さあねえ?ばばあになるまでには、なんとかなるんじゃん?」
「姉さん!」
「…ミネア。順序を間違えてない?あたしたちの旅の本懐は何よ?」
姉の琥珀色の瞳が、不意に鋭い色をたたえました。私は思わず口をつぐみました。
「もし仲間が見つからなくたってさあ…バルザックが目の前に現れたら、今度こそ殺せばいい」
浴室の扉が再び閉まるまで、私は何も言い返せません。やがて水音が聞こえてきても、しばらくその場を動くことは出来ませんでした。

姉の云うことは決して間違いではありません。もし目の前に、父の仇が──バルザックが現れたら、私だってお告げの仲間の助けなど借りず、ひとり飛び掛ることでしょう。順序を誤ってはいけない。それは姉の云うとおりです。
けれども、風にさらされたあの祠で、現身うつしみとも幽身かくれみともつかぬ不思議な巫女が私たちに云ったことも、決して誤ってはいないのです。漂白の民、ロマルとして生まれた私には、生まれたときから星を読むために力を貸してくれる精霊が、そばにいます。彼らもまた、巫女と同じことを私に囁きました。
結局、私たちと同じさだめに導かれた仲間を探さない限り、バルザックには会えない。
それがうっすら解っているだけに、私は焦らざるを得ないのです。
ただ、さだめはひとつの道ならず。いつ、星が角度を変え、人ならぬ何かに道を曲げられるかは解りません。何かのおりに、バルザックが私たちの目の前にいきなり現れないとは、言い切れないのです──。
(それにしても姉さんったら。単にサボッてる言い訳をしただけじゃないの?)
私は唇を尖らせ、またもや、ため息をつきました。窓から差し込んでくる陽光が、少しづつ角度を傾けています。夜の帳がもうすぐ下りようとしていました。

そんなわけで、私は、どことなく遣る瀬無い気持ちを抱えたまま、いつものように、いつもの場所に卓と椅子を出したのでした。
私が辻占いを出している場所は、エンドールの下町、大歓楽街のほとんど中心です。酒場が軒を連ね、ちょっとした広場になっている辺り。夜も更けると、出店や私と同じ占い師や、芸人が集まってくるような場所でした。そんな場所ですから、しょっちゅう姉とすれ違うこともありますが、そんなときの姉は、大体赤い顔をして、仲間と連れ立って歩いていました。
もう少し町外れに向かうと、娼館や連れ込み宿が、酒場の間に点在し始めます。そんな場所柄もあり、今日の初めてのお客様は、私と同い年くらいの娼婦でした。私とまったく違う、抜けるような肌の色と、月明かりで燐光を放つような色の薄い長い巻き毛。やはり、エンドールは人種の坩堝です。
彼女が入れあげてしまった色男の若旦那の真意を水晶玉で探り当て、彼女が選ぶべき道をタロットに尋ね、見料をもらいます。
まだ早い時間だからか、そのあとしばらくお客様が絶えました。目の前を歩く人々は、皆一様に目的のある足取りです。ある人は足早に、ある人はゆっくりと。けれども、己の行くべき帰るべき場所をしっかりとわきまえている、そんな歩み。
私はとても所在無い気持ちになりました。このまま姉を養って幾月も経ち、月はやがて年になり、気がつけば幾年も経ってしまうのではないかしら。気まぐれな姉のこと、気が向けば彼女の生業である踊りを踊ることもあるかもしれない。モンバーバラの大輪の薔薇と称された彼女の腕前なら、きっとこの街でもいっぱしの踊り娘としてならすことは出来るでしょう。けれども、いつまでもこの、エンドールの享楽の波に飲まれ、市井の一踊り娘、一占い師として、本懐を遂げることなく老いて死んでいってしまうのではないかしら…。
そんな、後ろ向きな考えが次々と浮かんでは消えていきます。天に一番星が輝き、西の地平にかすかに太陽の名残が留まる、そんな刻限。
私の目が、不図、往来を行く人のひとりに留まりました。
私よりも年若い、ほとんど少年と云っていい年頃の殿方でした。身の丈は人並み、旅人がまとう外套マントと、長剣を身につけ、皮袋を肩から提げる装いで、一目で冒険者と知れました。旅装の戦士は決して珍しいわけではありませんが、彼くらい若い冒険者というのは、あまりお目にかかったことがありません。彼は取り立てて急ぐようすもなく、当て処があるわけでもない、と云ったような顔つきでぶらぶらと広場の中央にたどりつき、竜の神様を象った像の足元に腰を下ろしました。私からの距離は、ほんの三尋(4.5m)と云った所でしょうか。
彼の姿で目を引いたことが、もうひとつありました。彼の髪の色です。夜気に半分くらい隠されてはいますが、月と灯りに照らされたその色は、幾年も経た樫の葉のような、深い深い緑色でした。エンドールに来てからも、来る前も、そんな不思議な髪の色を持つひとに、私は出会ったことがなかったのです。肌は日に灼けていますが瑞々しく、秀でた額と涼しげな目元が印象的な、端正な若者でした。
その髪の毛も相俟って、彼の相はなんだかとても不思議なものに見えました。人として生まれながら、何処か人でない──そんな相。
ちりん、と耳元で、風の精霊が囁きました。私にしか聞こえない声で精霊は云いました。直感を信じろ、と。
私は立ち上がりました。水晶玉をかかえ、彼の元に歩み寄りました。
下草の夜露が、私の足を濡らします。
「こんばんわ」
私は彼に話しかけました。努めて不審なものでない風を装いながら。
彼は顔を上げました。
真夏の蒼穹のような色彩の瞳が、私を見つめます。その瞳は無垢な野生の鹿のような、警戒に彩られていました。想像以上の敵意を向けられて、私は少し怯みました。
「こんばんわ」
けれども、もう一度、彼にそう話しかけました。
「…こんばんわ」
意外に柔らかい音調の声が返ってきました。
「私は、ミネア。占いを生業としています。もし良かったら、占いはいかが?」
「占い?」
「星は、あなたの行く末に、光を当ててくれるでしょう」
「行く末?」
少年は鸚鵡返しに呟き、しばらく私を見ていましたが、やがて無表情に云いました。
「僕の行く末なんて…どうせ、野垂れ死にするだけだから」
傭兵には見えない。かと云って、無頼者にも見えない。旅装さえしていなければ、普通の少年にしか見えません。そんな少年が吐くとは思えない剣呑な台詞が、彼の口から出てきました。
「そうかしら」 私は、やはり努めて優しく言葉を重ねました。「あなたの相には、そんなことは出ていないわ」
それは出任せと云うわけでもありませんでした。
「もし道に迷い、行く末を見さだめかねているのなら、戯れと思って、占いをしてみては?」
少年はしばし案じているようでしたが、やがて頷きました。
私は彼の前に膝を着き、水晶玉をかざしました。
「…名前は?」
「…ユージン」
あまり聞かない響きの名です。
「目を閉じて」
ユージンは目を閉じませんでした。
「…いやなの?」
答えません。ただただ、か弱い草食動物が、敵の動きを探るように、彼は身じろぎひとつしません。
私は諦めました。ユージンの警戒心は、生半なことでは解けそうにありませんでした。
私は気持ちを、目の前の水晶玉に集中させました。やがて未来を映すその珠玉は、かすかな熱を帯びだします。その中心に、ぼんやりと、像が姿を結び始めました。私は目に映ったままを、彼に向けて語り掛けだしました…。
「あなたの周りには…七つの光が、見えます。まだ、小さな光ですが、やがて導かれ、大きな光となり…」
水晶玉の中の光が、急に大きくなりました。それは私の掌からあふれ出し、ユージンと私の顔を照らし出しました。
その言葉が私の口をついて、零れました。
「…勇者さま…!」
私は思わず水晶玉を取り落とし、けれどもそれに構わずユージンの手を取りました。少年の手が私の手の中で硬く強張ります。
構わず、私は彼の瞳を見据えました。
「あなたを探していました。邪悪なる者を倒す力を秘めたあなたを」
ユージンの青玉の瞳が、水晶玉から発する光に反射して七色の光を放ちます。
「僕を、探していた?」
少年は訝しげに云いました。私は頷きました。
「私は、ミネア。占い師のミネア。邪悪な力に破れ、さすらっている旅の占い師です。確かに一度は敗れたけれど、聖なる力が告げてくれました。私と姉と、あと6人。さだめに導かれた仲間がいると。その仲間とともに邪悪なるものに挑むべしと…」
ユージンはうつむき、私の手を少し乱暴にほどきました。
「…僕も、邪悪な力に敗れた。そんな僕が勇者だなんて、信じられない。けれど、故郷の人々も、あなたも、僕を勇者だと云う」
私は少し面食らいました。彼はまるで、そのさだめを厭っているように見えたのです。故郷のかたがたも、彼を華々しく送り出したことでしょうに。
「ユージン。もし良かったら、もう少しゆっくり話をしない?私には姉がいるの。彼女も、あなたを探しているのよ」

卓と椅子を畳んで、店じまいの準備をしました(ユージンも手伝ってくれました)。姉の行き先を考え、不図思い当たって賭博場に行ってみると、果たしてスロットマシンの前に陣取った彼女を見つけることが出来ました。久々に調子がいいのに、と渋る姉を引きずるようにして、私と、ユージンと、マーニャは、宿のそばの食堂に入りました。
「で、この子が勇者なの?」
麦酒ビールのジョッキ片手に、マーニャが云います。その顔にはあからさまに「こんな子供が?」と書いてありました。
「ユージンよ。占いにそう出たのよ。彼の故郷の人も、彼を勇者だっておっしゃったんですってよ」
「そんなの親ばかな親ならいくらでも云うと思うけどなあ」
マーニャは肩をすくめ、ユージンを品定めするような目で見つめました。彼女の琥珀の瞳に見据えられ、少年の眉は不快げにひそめられました。
「あんた、年はいくつ?」
「十七」
「故郷って今、妹が云ったけど、何処?」
「ブランカの北の…山奥」
「ふうん。家族は?」
その問いを姉が発したとたん、ユージンの顔が強張りました。
ユージンは下を向いてしまいました。見ると、彼の拳は彼の膝の上で強く握り締められています。何かに耐えるように。
自分の不躾さを棚に上げて、「大丈夫なの、この子?」とでも云いたげな目線を、姉が私に寄越してきます。私は腰をかがめて、ユージンの顔を覗き込みました。
ユージンは、固く、固く、唇をかみ締めていました。唇が白くなるくらいに。そして彼の瞳の奥には、燠火のように、かすかに、でも確かに、激情のうねりがとぐろを巻いています。
「…ユージン?」
「僕の家族は、死んだ」
ユージンの声はからからに乾いていました。
「家族だけじゃない。村の人も。死んだ。殺された。魔物に」
沈黙が下りました。
酒場の喧噪が遠ざかっていくようでした。
ユージンはぽつりぽつりと、話し始めました。
つつましやかな村での暮らしと、優しかった家族のこと。忘れもしないあの日、村に現れた異邦人。彼に感じたおぞましい、瘴気のような気配と、そのあと突如襲来した魔物の群れ。匿われた土蔵を焼いた炎の音。幼馴染の少女が使った不思議な呪文と、彼に化けた少女。魔物の叫び声。「デスピサロさま!勇者を仕留めました!」。
それに応えた男の声は、間違いなく、あのおぞましくも美しい旅人の声だったこと。魔物たちの勝鬨の咆哮。
すべてが去った気配の後に訪れた、恐ろしい沈黙。
蔵から這い出した少年が見た、無残な故郷の姿…。
「…僕は…」
ユージンの声が震え、彼は再び俯きました。
「大変だったのね」
姉が云いました。
とても、優しい声で。
「…ユージン。あたしたちも、魔物に親を殺された。…正しくは、魔物に操られた男に」
燭台の灯りが、姉の横顔を照らします。彼女はとても穏やかな顔をしていました。
「あたしたちは、仇を討つために旅をしてる。あんたとあたしたちが、さだめの仲間か、なんてのはわかんないけど。あんたも旅を続けるんでしょ?…その、デスピサロを、殺すまで」
ユージンは頷きました。強く、きっぱりと。
「だったら、一緒に行かない?旅は道連れ、世は情けって云うし。どうも、あたしたちの仇も、あんたの敵も、魔物みたいだし。ひょっとしたら、意外とそいつらが顔見知りどうしかもしれない。そしたら話は早い。それに、あたしたち、こう見えても結構腕は立つのよ。一人より、三人のほうが、何かと心強いと思うんだけど」
ユージンが顔を上げました。
炎を映しこんで、紫色に光る彼の瞳が、マーニャを射抜きました。マーニャは臆せず、笑みすらたたえて、彼を見返しました。
「行こう、一緒に」
「…」
ユージンはまっすぐにマーニャを見たまま黙っていましたが(たっぷり蝋燭が4分の1くらい溶ける時間がかかりました)、やがて口を開きました。
「僕が勇者じゃないとしたら?」
「それはそれで、いいんじゃない。魔物を憎く思ってる気持ちは、変わらないんじゃないの?違う?」
ユージンはそのまま黙りこくってしまいました。それを見ながら、姉は麦酒のジョッキを傾けました。夜がやってきてから、かなりの時間が経っていましたけれども、エンドールの街はむしろこれからが本番と云わんばかりに、周りの人々も酒場自体も、いっそう活気を増していくのでした。

結局、石のようになってしまったユージンを、安宿に送ってから私たちも宿に戻りました。ユージンの返事は聞けずじまいで、私は少なからず落胆していました。
その翌朝。
珍しく姉が早起きしているので、私は思わず尋ねてしまいました。
「どうしたの、姉さん。早起きなんかして」
「ちょっとお」 マーニャは不服そうに唇を尖らせました。その唇は、珊瑚コーラルの粉を練った紅で艶やかに光っています。「いつも規則正しい生活をしろ、って五月蝿いのはあんたじゃないのよ。そのお言葉に従っただけよ。何かご不満でも?」
「そう云うわけじゃないけど」
「あんたも早くお化粧したほうが良いわよぉ。それと、出発の仕度も」
「なに、それ?」 姉の物云いに、今度こそ驚いた私の声は、いつもより気持ち高くなっていました。「出発の仕度って、どう云うこと?この街を出るの?どうして?」
「ユージンが来るからよ」
「どう云うこと?」
「占い師なのに、悟りの悪い子だこと。あの子が来るのよ、一緒に行きましょう、ってさ」
「何でそんなの解るの?」
「解るよ」 姉は云いました。やけにきっぱりと。「だからさっさと、準備しなってば」
マーニャが急かせるまま、仕度を整えました。もちろん客人などなく、私は半ば呆れながら、皮袋に荷物を詰め込みました。私が準備をしている間に、マーニャはふらふらと外出し、薬草だの毒消し草だのを買い込んで戻ってきました。彼女なりに本気に旅支度を整えているようなので、私は驚きましたが、姉がとうとう旅装の外套をまとうに至って、我慢できずに口を開きました。
「姉さん、彼は…本当に来るの?」
「来るよ」
そっけないくらいあっさりと、姉は応えました。
「見えるはずよ、あんたにも」
「自分のことは占えないわ」
「そーだったかしらねえ」
「昨日も云ったと思うんだけど」
私が更に口を開こうとしたとき、部屋のドアがノックされました。私ははっとして口を噤みました。
「どなたあ?」
マーニャが声をかけます。
瞬き三回くらいの沈黙のあと、躊躇いがちな声が聞こえました。
「…ユージンです。昨日、占いをしてもらった」
本当に来た。
私は立ち上がって、ドアを開けました。昨日と同じ、旅姿のユージンが立っていました。
「ユージン」
「一晩、考えた」 ユージンは相変わらず、硬い光を目に宿したまま、云いました。「考えて、あなたたちと一緒に行くことにした。…まだあなたたちが、そのつもりなら」
「待ってたよ、ユーちゃん」
自分の荷物と、私の荷物を抱えて、マーニャが部屋の奥から出てきました。
「きっと来ると思ってた」
姉に手渡された外套を、私も慌てて身に着けました。皮袋を携えます。
「行こう、ユージン」
マーニャが手を伸ばしました。ユージンは少し驚いたように、その手をまじまじと見つめます。マーニャが、ほら、と云うように、彼の前で掌を握ったり開いたりしました。
「一緒に行こう」
「…」
無言のまま、ユージンが体をずらして、おずおずと手を差し出します。マーニャはひらりと、その手を握りました。驚いて腕を引こうとしたユージンですが、一瞬の躊躇のあと、抗うのをやめたようでした。
「さあ、行こう。大陸は広い」
「行きましょう、ユージン」
私も云いました。
「あなたと私たちが出会えたように、きっとこの世界のどこかに、仲間がいるわ」
ユージンは視線を伏せて私の言葉を聞いていましたが、頷いて顔を上げました。
「行こう。マーニャ。ミネア」

そのようにして、私たちは出会ったのです。
不思議なさだめのお導きに、因って。
そしてそれは、世にも不思議な旅の、始まりだったのです。

 

 


2008年個人サイトで初出、2021年pixivに移管。
5章のエンドール、そのまんまです。
随所に久美沙織さんの影響が見て取れますね………お恥ずかしい。