ナチュラル・ビューティー

ライアンが自宅に戻ると、家政婦の老婆が来客があった旨を伝えてくれた。彼の手の中の小ぶりなグラスには、バトランド名産の蒸留酒コニャックが、暖炉の炎を吸い込んで、琥珀色のまろみを帯びた光を放っている。
「マーニャ? 確かにマーニャと名乗ったのか?」
バトランド、いや世界でも無双の剣の腕を誇る彼にしては聊か間の抜けた声をライアンはあげた。リンナと云う名の老婆は、「確かにそう仰いました」と何事も無かったように答えた。そして、鄙びたこの国の者にありがちな、好奇心をむき出しにした顔で、
「お美しい方でしたねえ」
と笑い、何やら意味ありげに主人の顔を覗き込んだ。
「旅の仲間だ」
ライアンは渋面を作って答える。そして、馥郁たる薫りを放つ蒸留酒のグラスをテーブルの上に置いた。
「確かにゴルボフの宿にいると云ったのか」
「ええ、そう仰ってましたよ」
ライアンは立ち上がる。長身の彼が立ち上がると、暖炉に炙られた彼の影が壁に濃く、大きい暗がりを作った。部屋が心なしか手狭になったように感じられる。
「お出かけになりますか?」
「ああ、行って来る」
リンナ婆は玄関まで主人を見送りに来てくれた。鹿革で出来た外套マントをライアンに、背伸びをしながら着せてくれる。
外に出た。
外套は内側に毛皮を張り合わせ、隙間風すら許さないはずであったが、しかしライアンの体は寒さに身震いをした。
バトランドの冬は、寒い。
寒い、と云う表現が生易しいほどにだ。
この季節にあって、大気は常に微小な氷の粒を湛えており、太陽はその靄に遮られ、日中でも申し訳程度の光が力なく注ぐばかりだ。それでも王都のある南部はまだましな方で、国を東西に横切る大河以北の地などは、わずかな常緑樹の林と灌木以外にはただ茫漠と下草が広がるだけの地と化してしまう。
そんな大地にもひとはたくましく根を下ろす。この王城の地の夜は、活気に溢れていた。
雪焼けした浅黒い肌を持つ背の高い人々の波を、それより更に背の高いライアンは大またで歩いていく。見る目のあるものが見れば、よほど剣の修練を積んだ者の歩み方だった。時折、同僚の戦士に声をかけられた。片手を挙げてそれに応える。
やがて、小さいが趣味の良い煉瓦づくりの宿の前にたどり着いた。目指すその店のドアを開ける。寒さ避けのためにもうひとつ付いているドアを開けると、小さな宿にありがちなことではあったが、そこは酒場になっていた。
ゴルボフの宿は、宿屋と云うよりはむしろ酒場として有名で、バトランド名物の青身魚や鹿肉のシチューや蒸留酒を、安く旨く供してくれるので人気がある。ライアンも僚友としばしば訪れたことがある。今夜も席は8割がた埋まっていて、男たち女たちが笑いさんざめきながら卓を囲んでいた。忙しく立ち働く顔見知りの給仕の少年がライアンに気づき、可愛らしく笑みを浮かべた。
「お連れさんなら、奥にいますよ。ライアンさま」
「紫色の髪の娘だが、間違いないか?」
「ええ、その方ですよ」
少年は「ちょっとごめんなさい」と客に声をかけながら、ライアンを通してくれた。奥に行くに従って喧騒は深まって来るが、奥の奥に陣取るその女の周りは少し様子が違っていた。バトランドの男たちは明らかに、酒食よりもその女に気をとられており、自然彼らの声はどことなく密やかであった。
そんな男たちの視線をそよ風のごとく、平然と受け止めてそこに在るのは、戦士の旧知の女である。
まず人目を引くのは紫水晶アメジストの滝のごとく、豊かな髪だった。更に、雪焼けとは明らかに違う褐色の肌。そして、先ほどライアンの手のひらのグラスでたゆたっていた蒸留酒のような琥珀色アンバーの瞳は、この田舎じみた酒場の中でさえ神秘をたたえてきらめいていた。長い睫は星屑を宿して幻のごとき陰影を頬に落とし、鼻梁は崩れが無く、唇は爛熟した果実のような色香と咲き初めの桃のような清楚さを匂わせ、それらが小さな輪郭の中の、考えられるうちで最も均衡のとれた場所に収まっていた。
久方ぶりに合間見えた踊り娘は、相変わらず美しかった。女性の容姿にさほど拘泥を持たぬライアンでさえ、彼女の美しさには感嘆せざるを得ない。
「マーニャ」
呼ばわると、大きな瞳がくるりと翻り、ライアンを見とめた。
二重まぶたが瞬き、にっこりと笑みの形を作る。
「久しぶりじゃーん」
酒精に灼かれたか、すこし掠れた声で娘は云った。
戦士はゆっくりと歩み、ぽきぽきと長身を折るようにして椅子に掛けた。この城下では知らぬもののない剣士の登場に周囲の男たちは剋目したが、美女の連れが剛勇の男であったと云うことに対する失望がそれに勝ったようだ。彼らの好奇心や下心が作り上げていたある種異質な空気は、あっさりと霧散した。
「こんな寒いところまでよく来たな」
「予想以上に寒くて驚いたわよ。あたし夏にしか来たこと無いんだったの忘れてたわ」
マーニャの前のグラスには麦酒ビールが泡の名残をかすかに残したまま揺れている。幾枚か並んだつまみの皿の上には果実の砂糖漬けや野菜の酢漬けがほとんど手付かずで鎮座していた。
火酒スピリッツと、鹿肉の煮込みを持ってきてくれ」
隣の卓に料理を運んできた先ほどの少年を捕まえてそう云いつけると、少年は元気に頷き、すぐに火酒の揺れるグラスを運んできてくれた。
「ようこそ、我が国へ」
かちり、と乾いた音をたて、ふたつのグラスが重なる。
「なんか仕事だったみたいじゃん。悪いね、わざわざ」
「なに、たいしたことはない」 戦士は踊り娘ののんびりとした物云いに至極真面目に答えた。「こちらこそ、無駄足を踏ませて悪かったな。おれの家で待っていてくれても良かったのだぞ」
「家?」 踊り娘はからかうような口調で云う。「家、なんて可愛いもんじゃないでしょ、あれ。すんごいお屋敷じゃない。びっくりしたわ」
「やや広すぎて手に余っている」
戦士は自慢する風でもなく、淡々と答えた。
ライアンが今住む屋敷は、旅から戻ったあとに国王から与えられたものである。独り者には広すぎる、と固辞したのだが聞き入れられなかった。旅立つ前は部下20人の小隊長に過ぎなかったこの男は、再び城に仕えたのと同時にその百倍の兵卒を従える大隊長にまで出世した。精強をもって大陸に名を轟かせるバトランド陸軍の大隊長ともあろうものが、今までのように官舎で集団生活と云うわけにも行かぬ、と説き伏せられてしまったのだ。
リンナ婆の他にも男をふたり、使用人として雇い入れているが、実際屋敷の規模と人数がつりあっておらず、管理が追いつかないと婆にたびたび愚痴られる始末であった。
「まあ、確かにちょっと広すぎるみたいよね」
マーニャが頷くのと同時に、湯気をたてる鹿肉の煮込みがふたりの間に置かれた。
「バトランドでは鹿肉をよく食う。ここの煮込みは特に旨いんだ」
「あ、食べる食べる」
踊り娘の手が伸び、小皿に料理を取り分けた。
「ところで、ミネアはどうした。喧嘩でもしたか」
「ちょっとちょっと、子どもじゃあるまいしさ、いつまでもニコイチじゃないから、あたしたち」
「にこいち?」
「なんて云うか、二人一組って云うかさ」
「……ああ」
ライアンは合点がいったような声を出す。
「他の皆にも会ったか? 元気にしていたか?」
「ハバリアから定期便でエンドールに行ったからトルネコに会ったし、ユージンのところにも軽く顔出したわ。みんな元気だったわよ。ユージンのとこからこっちに来たわけ」
戦士は我が耳を疑った。ユージンの住む地とバトランドの間に横たわる山地は峻厳であり、その地帯出身であるライアンさえも真冬には奥まで足を踏み入れることは絶無と云ってよい。それはすなわち、死を意味することに他ならないのだ。
「山を越えたのか?」
「まさか。あたし魔法使えるの、忘れた?」
「──なるほど」
「基本、あんまり魔法使わないようにしようと思ってたんだけど、さすがにちょっとね」
「賢明だな」
頷き、マーニャが取り分けてくれた鹿肉を口に運ぶ。よく煮込まれたそれは、舌の上でほろほろと崩れた。滋味深い味がライアンを愉しませる。
「バトランドの次はサントハイムに行くつもり」
「どうやってだ? 船は使えぬぞ」
「えっ? なんで?」
踊り娘は目を丸くする。店内の明かりを吸い込んで、琥珀の瞳が赤褐色に見えた。それは彼女が操る紅蓮の炎にも似ていた。
「バトランドとサントハイム、スタンシアラを繋ぐ定期航路は冬の間操業停止だ。流氷が海を覆ってしまうからな」
「りゅうひょう?」
「極北の海から氷が流れてくるのだ」
「そうなんだあ」 マーニャはがっくりと肩を落とした。
「サントハイムに行くのなら、ガーデンブルグからブランカの国境に入り、南下してコナンベリーから船に乗るか、エンドールまで戻って船に乗るほか無かろう。もう少し早ければ、西南の国境を越えてレイクナバからフレノールへ渡れたのだが」
「ガーデンブルグまでどうやって行くのよ。たいした山がでーんとあるじゃないの」
「バトランドを東西に流れる河があるだろう。冬の間はあれが凍って、道になる。上流の湖も地面のごとく凍る」
マーニャの表情がぱっと輝いた。まったく、先ほどから猫の目のように表情が変わる。そう云えば、腰のない柔らかな髪と云い、神秘的な瞳の色といい、気ままな性格と云い、彼女は何処となくあの人に懐かない夜走獣に似ていた。
「それ、すっごい面白そうじゃない?」
「面白くはないが、河がまるごと凍るなどと云うばかばかしい現象は、バトランド以外には起こらぬと聞いたな」
「決まり。その行き方にする」
「エンドールまで戻ったほうが早いぞ」
「あ、いいのいいの。別に急いでないし」
彼女がひらひらと手を振って笑った。
店の中は夜が深まるにつれていよいよ賑やかさを増していた。そのざわめきの中に剣呑な怒鳴り声が混じった。
人々が声を落とす。
酔っ払いの喧嘩のようだった。
マーニャが首を伸ばして騒ぎの起きているほうを見る。誰かが腰を低くしてとりなしている声が聞こえてくるが、酔客の怒声は止まない。
さきほどの少年がそばまでやってきたので、ライアンは彼を呼んで尋ねた。
「どうしたと云うのだ」
「お連れさんどうしが喧嘩を始めちゃって」 少年は唇を尖らせながら肩をすくめた。「親方が宥めてるんだけど、結構酔っ払っちゃってて聞いてくれないんです」
「ふむ」
戦士は立ち上がった。
入り口に程近いところで5人の男たちがにらみ合っていた。そのうちひとりはこの酒場兼宿屋の主人で、ライアンとも面識がある。その他の酔漢も、偶然にも見知った顔であった。ライアンの馴染みの武器屋の若い衆だ。
ライアンはのっそりと近寄った。自然、彼らの中にライアンの影が落ちた。若者のひとりが不審げにこちらを見、あっと声をあげた。
「ライアンさま!」
──ライアン。ライアンだと。ライアンさまだ。あれがあの。黒鷲ライアン。剛勇無双の。いつしか静まり返っていた店の中にそんな囁きが広がっていく。彼はこの北国随一の武人であり、黒鷲のふたつ名は国の辻と云う辻に知れ渡っている。顔は知らぬ者のほうが多かろうが、名前ならば三歳のこどもでも知っている。
「皆の団欒のひとときを、どう云う理由で騒がすのか、聞かせてくれ」
ライアンは落ち着いた声で尋ねた。先ほどまで騒いでいた若者たちはばつが悪そうに顔を下げ、
「すみません。酔っ払ってて止まらなくなっちまっただけです」
と詫びた。
「酒は楽しく飲んだがいい」
「はい」
「飲み直せ。別の店ででも」
そう云ってライアンは店の主人に向き直った。
「彼らの勘定はおれにつけておいてくれ」
「よろしいので」
「ああ」
ライアンの言葉に若者たちがあせりの表情を浮かべる。
「そんな、ライアンさま」
「いいのだ」 ライアンは薄く笑みを浮かべる。「二軒目で使え」
若者たちは恐縮しきって店を出て行った。
「おやじ、水を差したな」
「とんでもございません」
酒場にふたたび、ざわめきが戻って来た。
ライアンがふたたび席に戻ると、マーニャがにやにや笑いながら麦酒のグラスを傾けていた。
「かっこいいじゃん」
「ばか、からかうな」
戦士は目を逸らす。照れているようだ。
「あ、ボクボク」
娘は傍らでライアンを尊敬の眼差しで見つめている給仕の少年に声を掛ける。
「あたしにも、このおじさんが飲んでるお酒持ってきてくれない?」
「すごく強いお酒だけど、大丈夫?」
こまっしゃくれた口調で尋ねる少年に、ライアンが口を挟む。
「彼女はおれより酒豪だ。心配要らぬ」
ライアンさまより? と驚いた声をあげる少年の前で、娘はすこし不服そうな顔をした。
「酒豪ってわけじゃないわよ。ライアンよりすこし、小指の爪くらいの差で、お酒が好きなだけよ」

翌日からも、ライアンは常と全く変わらず、黙々と仕事に出かけた。
珍客の噂を聞いた国王が再会を望んだので、一回だけ彼女をつれて王宮に参内したが、一緒に行動したのはその日だけだった。しばらくライアンの屋敷に逗留することになったマーニャは、城下町をぶらぶらしたり、郊外の名所に出向いたりと、ひとりで勝手に楽しく時間をつぶしているようだった。
鄙びたこの国は享楽を愛する踊り娘にはつまらないのではないか、そうライアンは内心で案じていたが、バトランドの苛烈すぎる冬はかえって娘の好奇心を刺激しているようであった。
リンナ婆はこの美しい娘を気に入った様子だった。陽気でおしゃべり好きなマーニャの豊富な話題と巧みな話術は、素朴な婆にも好もしく映ったのだろう。彼女を「お嬢さま」と呼んではあれやこれやと世話を焼き、マーニャも喜んで焼かれていた。
ある夜、武具の手入れをしていたライアンに婆が寄ってきて、云った。
「マーニャお嬢さまは今日も酒場に遊びにいかれましたよ」
「そうか」
「“そうか”、ですって?」 リンナ婆は大げさに溜息をついた。「年頃のお嬢さんを夜中まで遊び歩かせておくなんて、一体どういう了見です?」
ライアンは剣を磨く手を止めて云う。
「あの娘は夜遊びが三度の飯より好きなのだ。好きにさせておけ」
「変な男に悪い遊びをけしかけられたらどうするんですか?」
「おいおい」 ライアンはリンナ婆を見た。「マーニャはいい大人だぞ。いい大人がどう振舞おうが、おれに口出しする権利などないだろう。ましてや、ああ見えてあの娘はたいした魔法使いだ。ならず者なら手のひとふりで黒焦げにしてしまう」
「そういう問題じゃありませんよ!」
「どういう問題だって云うんだ」
「この小さな城下町じゃ、噂なんてあっと云う間に広まってしまうんですよ。ライアンさまが気を遣って差し上げなくてどうするんです」
「噂させておけばいいではないか」
ライアンは再び剣に目を落とした。刃紋に乱れは無いか、凝っと見て確かめる。
リンナ婆が肩をそびやかして、言葉を続けた。
「こんな田舎の国でだって、お嫁入り前のお嬢さんに変な噂が立ったら可哀相でしょう。誰がそれを耳にするかわかりませんもの。全くライアンさまは、そういうことに気が利かないでいらっしゃる。もう少し女性に気を遣わないと、お嫁の来手が無くなりますよ」
「肝に銘じておく」
ライアンは憮然とした表情で答えた。
リンナ婆は非常に優秀な家政婦ではあったが、どうもライアンを息子のように扱っているふしがあり、こうやって、ことあるごとにやもめの立場を突っついてくる。彼本人とて、独身者が少ないこの国で未だにぶらぶらしている我が身を決して良しとはしていないから、云われるたびに苦い薬を無理矢理飲まされている気分になる。
「ライアンさま、いくらなんでもお嬢さまは夜遅くまで出歩きすぎですよ。お迎えに行ってくださいまし。ゴルボフさんのお店にいらっしゃるようですからね」
リンナ婆はそう云って、外套を彼に押し付けた。戦士は不精不精立ち上がり、玄関に向かった。
夜半を過ぎた城下町にはさすがに人影は少なく、冷気と云う冷気が錐でライアンの皮膚をこじ開けようとしているのではないかと思うほどに寒かった。彼が吐いた息は彼の鼻先であっと云う間に凍ってしまう。バトランドの冬支度には欠かせない革製のマスクが無ければ、その氷で凍傷すらこしらえかねなかった。実際、耳や指を凍傷で失ったものはこの国では珍しくない存在である。
戦士は大きな背中を丸めながら歩く。
通りの向こうからよく見知った人影が歩いてきた。狐の毛皮で出来た外套と、やはり狐の毛皮で出来た帽子を身に着けている。内側がボア張りになっているころんとしたブーツを履いた足が、楽しそうなステップを踏んでいた。
「ライアンじゃん」
マーニャは白い息を吐きながら云う。無用心にも、顔を露出している。皮膚はすっかり外気にさらされて赤くなっていた。
「どうしたの?」
「リンナにおぬしを迎えに行けと云われてな」
ライアンはひょいと手を伸ばし、分厚い手袋ごしに踊り娘の顔を撫でた。撫でたと云うよりも、強くこすった。マーニャが悲鳴をあげる。
「痛い! 何すんのよ?」
「夜出歩くときはマスクをしろと云ったはずだ。すっかり真っ赤になってる」
「だってかっこ悪いじゃないあれ」
「真っ赤になってるうちはいいが、その肌が真っ青になったら、鼻がもげるぞ。凍傷をあまく見るな」
ライアンは云いながらマーニャの顔をこすり続ける。マーニャはされるがままになっている。
彼女の皮膚に温もりが戻ってきたのを確かめると、ライアンは外套のポケットから予備のマスクを出して、彼女に渡した。
「ぶかっこうかもしれんが、付けてろ。鼻がもげるほうがよほどぶかっこうだからな」
さすがにマーニャは大人しく従う。
「さ、帰るぞ」
「帰るの? せっかく外でバッタリ会ったんだから、呑みに行こうよ」
「おいおい」 ライアンは呆れて酒豪の娘を見た。「迎えに来たと云ったろう。ひとの云った言葉を都合よく忘れるな」
「でもさーあ」
「リンナがおぬしは遊びすぎだと云っていたぞ。たまには控えろ。年寄りに心配をかけるものではない」
戦士はきびすを返し、元来た道をすたすたと歩く。踊り娘は「けち」と云いながらもあとを付いてきた。今日は大人しくすることにしたようだ。
「だって、楽しいんだもん」
マーニャは笑う。
「ご飯も美味しいし、みんな親切だし、景色は珍しいし。家で大人しくしてるなんて何だかつまんなくない?」
「楽しいか」
「楽しい」
「旅人は皆“こんな寒いところにはおられぬ”と云ってすぐにいなくなってしまうのだが」
「そうなの? 勿体無い」
「勿体無いか」
「勿体無いよ。だってほら」
マーニャがすっと手を上げ、北を指差す。
北斗星がしんとした閃きを見せる夜空に、娘がすなる炎のような、紅蓮の天幕が揺れていた。
紅蓮が紫に、紫が緑に、緑が黄色に、黄色は白色に……気まぐれな画家が天空と云う画布に絵の具を走らせたかのように、その極光オーロラは刻一刻と色を変え、また、形を変えていた。
「ああ云うのって、こんだけ寒くないと見られないんでしょ」
「そうだな」
まるで天人の息吹のように揺らめくそれを見上げながら、マーニャは云う。
「こう云うのってさ、別にあたしのこと待ってるわけじゃないじゃない。あたしがいたっていなくったって、出るときは出るし出ないときは出ないじゃない」
「うむ」
「だから寒いのなんてたいした問題じゃないじゃない。こう云う綺麗なものに出会えたら、帳消しだね」
「なるほど」
ライアンは真面目くさった声を出した。不図マーニャが傍らの彼を見上げると、この中年の剣士はまるで少年のような表情をして極光に見入っている。踊り娘は少し可笑しくなって、マスクの影で忍び笑いをした。

極光も見たし、そろそろおいとまするわ、とマーニャが口火を切ったのはその翌日のことだった。リンナ婆は「寒いから」とか「女性の一人旅は厳しいから」とか色々な理由を並べては引きとめようとしたが、彼女はそれを笑っていなした。その頃にはすっかり打ち解けていた他の使用人も残念がったし、盛り場でマーニャと親しくなった酒飲みたちもこの美しい娘との別れを惜しんだ。
ライアンは一日、休暇を貰った。
国土のほぼ中央を東西に流れる大河は、冬の間氷結し、ソリの行きかう幹線道路となる。人も貨物もそこを通って国中に散らばっていく。旅人が使う乗り合いのソリも数多く運行している。
そのソリの発着場まで、マーニャを送っていくことにしたのだった。
娘が発つ日、予想以上の人々が彼女を見送りに街外れまでやってきた。真冬のこの国から姿を消して久しい太陽のような笑顔を絶やさず、彼らといちいち握手や抱擁を交わしているマーニャをライアンは半ば呆れ、半ば感心しながら見ていた。
バトランドの馬は、見てくれこそずんぐりとしているが、頑健で我慢強い。ライアンとマーニャを乗せても歩調は1人乗りのときと大して変わらなかった。
「寒くないか」
「全然平気」
マーニャはそう答える。
彼女の豊かな髪から立ち上る香りがライアンの鼻腔をくすぐる。ご婦人の香水に疎いライアンには、それが何から調合されたものなのかは解らない。濃厚で芳醇で、甘く、雄を誘うような香りだった。
「ところで」 ライアンは努めてその香りを意識の外へ追いやった。「本当にガーデンブルグ回りの道でいいのだな。数ヶ月がかりの旅になるぞ」
「いいのいいの。って云うか、旅だと思ってないし。こうやって渡り歩くのがあたしの生活だから」
マーニャは少し言葉を切り、付け加えた。
「あたしは、流浪民ロマルだから」
かつては世界各地にその姿があったが、今は南西大陸にわずかを数えるばかりだと云う、マーニャとミネアの血筋は、「ロマル」と云う名で呼ばれる。
彼女たちのような技芸や神秘の術に長けた、漂泊の人々だ。
いつから彼らが旅を始めたのかは解らない。だが、彼らは彼らの歴史が続く限り、旅を続ける。
「おれも長い旅をしていたが、やはりいつかは故郷に戻るものだと信じていたように思う。おぬしはそうは思わぬのか。流浪民とは、そう云う人々なのか」
ライアンが尋ねた。
「あたしたちの育ての親は普通の人だったから、一応ふるさとはあるけど。戻るとかって云うのはあんまり考えたことないわね」
「ミネアもそうなのか?」
「あの子はねー、あたしと違って、面倒見のいい子なんだよね。お客さんの面倒とことん見ちゃうから、お客さん置いてあっちこっちうろつけないのよ」
「そういうものか」
「多分あの子は、南西に腰を落ち着けると思うよ。あたしは、こうやって流れ流れてるのが好き」
「年老いても、流浪を続けるつもりか」
「うーん」
踊り娘の表情は見えないが、ライアンには彼女が上目遣いで考え事をしている様子を容易に思い浮かべることが出来た。
「ばばあになっても、そうしたかったらしてるんじゃない? 別に今だって、やりたいからやってるだけで、厭になったらやめるし。年齢とかあんまり関係ないと思う」
「そういうものなのか」
「そういうものなのよ」
マーニャが軽く髪をゆする。芳香が強く香る。
「野垂れ死んでも、野ざらしになっても、飽きるまで流れ流れてると思う」
「そうか」
「それを哀れんだり蔑んだりする人もいるけど、理屈じゃなくて、血だから」
血か。ライアンは口をあまり開かずもごもごと相槌を打つ。血だね、とマーニャは答えた。
「まあ、少なくともバトランドに来ることがあったら、またおれの家に来い。友人に領内で野垂れ死にされるのは、気分のいいものではないからな。おれが仕事で留守にしているときでも、リンナに面倒を見てもらえばよい」
「ありがと。ご迷惑じゃない限り、行くわ」
「迷惑など、かかることがあるものか」
「今はいいけどさ、お嫁さんとか来たら、嫌がるんじゃない?」
「嫁か」
おれの一生で嫁を娶ることなどあるかな、とライアンは呟くように云う。故国を離れていた間の年月は、彼にかけがえのないものを多く与えたが、また幾つかのものを失わせた。旅立ちの晩に涙を浮かべて「お待ちしています」と囁いた女は、当たり前のことだが彼を待っていてはくれなかった。些細なことではあるが、そういう積み重ねが、ライアンに結婚を縁遠いものと思わせていることは確かだった。
「ずいぶん弱気じゃないのよ」
「40過ぎのおやじに嫁いでくる物好きなどそうそうおらぬだろうからな」
マーニャが馬上で身を捩り、ライアンを覗き込んだ。
「もしライアンがどうしても結婚できなかったら、あたしがお嫁さんになってあげる」
踊り娘はカラッとした口調で云った。その表情は明らかに彼をからかっている。ライアンも負けじと云い返した。
「おれのところへ嫁に来るのなら、夜遊びは卒業せねばな。バトランドでは酔っ払いがよく凍死する」
「あはは、じゃあ無理だわ」
マーニャはケラケラ笑って、前方に向き直った。その視線の先に、真っ白に凍りついた大河が横たわっている。その白銀の道を、馴鹿カリブーにひかれた多くのソリが東に西に滑っていく。
「すごい、あれ本当に河?」
「河だとも。さあ、そろそろお別れだな、マーニャ」
「うん。世話になったね」
「なに、おれは何もしておらぬ」
ライアンは馬を止め、地面に降り立った。マーニャが下馬するのを、肩を貸して助けてやる。
「あそこに6頭立てのソリがあるだろう。あれがガーデンブルグ行きの便だ」
「わかった」
「達者でな。また来るがよい」
「うん、またそのうちに。あんたも元気でね」
踊り娘は華やかに笑い、身を翻した。
そのまま、大河の岸へと軽やかに歩んでいく。ソリの運転手とふたこと、みこと、言葉を交わして、乗り込む。やがて、ソリは幾人かの客を乗せ、滑り出していった。
その間、マーニャは振り返らなかった。
風のような娘だ。そうライアンは思う。
雲が流れるほうへ、水が下るほうへ、彼女は往くのだろう。寒ければ寒いと呟き、暑ければ暑いと唸りながら、しかしそれを受け容れて。生まれたままの心で。彼女独特の知恵を携えて。
ふと、羨ましさを覚えた。
だが、彼の在る大地は、この凍土しかないのだ。それを彼は、知りすぎるほどに知っていた。
ライアンは馬首をめぐらす。

そして戦士もまた、振り返らずに去った。

 


個人サイトから移管したドラクエ4の小説です。
結構な数の話を書きましたが、自分でもとても気に入っているお話です。
この話の何年か後に、「ライアンー!お嫁に来たよー!」って言ってお嫁に来てくれるマーニャさんをうっすら希望するライマー派です。
以下は、更新報告のブログから。


 マーニャさんの自然体なかんじを書けたらいいなーと思って書き始めた感じで。
 前のクリアリ話は悩みながら書いてたんですが、今回はそんなに考え込まずにさらさらと書けますた。相変わらずヒネりのない感じですがww

 このふたりは、多分すごい大人なんです。
 結構個人主義というか、独立独歩というか。
 だからウマが合うんだと思います。
 恋とか愛ではなく、ウマが合う。
 そういう感じで書いてました。この先はわかんないですけどね。なにせ男と女なんでww

 なんつってなんつって。

 ゆるくお読みいただければ嬉しいです。