か細く啼く

「ね、こう云う風にすると、爪がぴかぴかになるでしょう?」
ミネアの繊細な指が、アリーナから離れた。姫の桜貝のような爪は、やすりで整えられ、磨き上げられていた。
「すごい」
アリーナは目を輝かせる。
「色も乗せてみる?」
「うん、やってみたい」  マーニャに云われ、アリーナは頷いた。
「あんたさあ、お姫さまなのに、こういうのやったことないわけ?」
鳳仙花バルサムの花をつぶして液体状にしたものを筆の穂先に浸し、アリーナの爪の上に器用にのせながら、マーニャが問う。
「お化粧とかはさせられたけど、あまり好きじゃなかったの。爪は稽古の邪魔になるから、いつも切ってたし」
「勿体無いこと」
マーニャがため息をつく。麗しの踊り娘の顔は、珊瑚コーラル真珠パール孔雀石マラカイトの粉がところどころに刷いてあり、魅惑の力を彼女に与えている。化粧を落としたマーニャもじゅうぶん過ぎるほど美しいとアリーナは思うが、化粧をした彼女には、女の艶やかさがまとわりついていた。
ミネアも姉ほどではないが、いつもきちんと化粧をしている。何より二人とも、長きにわたる過酷な旅の中でも、髪の毛も爪も、いつも艶やかである。アリーナもサントハイムにいたころはお付きの女官がこまごまとした美顔術を行ってくれていたが、最近はついなおざりになりがちであった。
ひとえに彼女の若さが、それを必要としなかった所為ではある。クリフトが調合してくれた薬水だけで、肌の肌理はいつも保たれていたし、その水を適当に髪や手につけておけば、髪も手も荒れなかった。よく気のつく神官は、姫の赤銅色の巻き毛を毎日梳ってくれてもいた。そう云った従者の心遣いはあったが、何より、アリーナのくっきりとした秀麗な顔立ちが、化粧を必要としなかった。
そんな無頓着な妙齢の娘に痺れを切らし、マーニャが「ちょっとお化粧してみない?」と誘ったのであったが、アリーナも満更ではなかったようで、「お願い!」と元気よく頷いたのだった。
「勿体無い?」
踊り娘の言葉に、姫は怪訝そうな声で答えた。
「そうよ。折角可愛く生まれついたんだから、お化粧を楽しまないと」
マーニャは器用に筆を動かしながら云った。
「肌も綺麗だし、羨ましいわ」
ミネアが笑う。
「これは、クリフトが作ってくれる薬水をつけてるの」
その言葉に、美人姉妹の目の色が変わる。
「そうなの!? ちょっとそれ、どうやって作るの?」
「わたしたちにも教えて欲しいわぁ」
「あ、どうやって作ってるのかは、わたしには解らないけど……」
「そうなの? あとで教えてもらおっと! ……さあ出来た。ほら、可愛い」
アリーナの爪は、鳳仙花の綺麗な紅色に染められた。ついでながら、マーニャとミネアが張り切って施した化粧も完成していて、アリーナはいつもより華やかな顔つきになっていた。目のふちや頬に、きらきらと輝く粉を刷かれ、唇は紅花で彩られていた。手先の器用なミネアが髪の毛を愛らしく結い上げてくれたので、普段の彼女とは全く違った印象になっている。
「アリーナ、とっても可愛いわ」
「でも、毎日これをするのは大変で面倒くさいわ」
アリーナは肩をすくめた。
「慣れればどってことないわよ。折角だから口紅くらい続けてみたら?」
「でも、汗で流れちゃうし……」
「そんなだからあんたは子どもだって云うの。自分の顔見てごらん、すごく可愛いから!」
マーニャが手鏡をアリーナの前に差し出す。姫がそれを覗き込むと、ひどくおとなびた、自分の顔が現れた。
「わあ」
アリーナはなんだかくすぐったいような気持ちになった。
「ね、いいでしょ」
「なんだか自分じゃないみたい」
「そんなことないわ。本当に綺麗よ。さすが、お姫さま」
「そうよ、殿方だって、イチコロよ」
「みんなに見せてきたら? 宿のホールにみんないたわよ」
「えっ。恥ずかしいよう」
アリーナは身をよじる。
「行こ、行こ!」
マーニャが椅子を立って、アリーナを促した。

2階の部屋から階段を使い、広い玄関ホールに下りる。いくつかのソファとテーブルが並んでいて、宿泊客がまばらに腰掛け、会話に興じていた。美しき女性たちの仲間も其処に車座になっている。作戦会議でもしていたのか、テーブルの上には地図が広げられていたが、各々の手には麦酒ビールのジョッキがあるところを見ると、話題は他愛も無い世間話に移っているようだった。
「ちょっとヤダ、飲んでるんだったらあたしも誘ってよね」
「今日は秘密の会議がある、とか云っていたのはおぬしではないか」
頬を少し上気させたライアンが云った。みな、宿で寛ぐときのゆったりした衣服に着替えている。
「あら、そうだったかしら? ねえ見てライアン。アリーナがお化粧したの!」
マーニャに背中を押されて、アリーナは男たちの前に出た。
男たちの視線を一斉に浴び、姫の頬は少し上気した。
ライアンが「ほう」と嘆声をあげる。
「さすが姫君、よく似合っているぞ」
「きれいですね、アリーナさん!」
トルネコが笑う。
「そ、そうかな」
「どうよユージン、アリーナ。可愛いでしょ?」
奥のソファに座っていたユージンにマーニャが水を向ける。
「うん、すごく可愛いよ、アリーナ」
「マルガレータ王妃に生き写しじゃなあ。お美しいですぞ、姫さま」
ブライも孫娘の晴れ姿を見る好好爺のようなまなざしで、主君を褒め称えた。
「えへへ」
アリーナは照れて俯いた。
「あら、クリフトは?」
ミネアが気づいたように問うと、ブライが答えた。
「今、ちょうど上に行っとる」
「そうなの? クリフトに訊きたいことがあったのに」
ま、いいわ、とマーニャは云い、ライアンの隣に腰掛けた。
「あたしも麦酒!」
「秘密の会議とやらは終わったのか」
「取り敢えずね」
給仕がマーニャの分のジョッキを運んでくる。
「お化粧、落とす? アリーナ」
「うん、落とす」
「もう落としなさるか。しばらくそのままでおられたらよろしいではないですか」
心底勿体無さそうなブライの言葉に、アリーナはくすぐったそうに返した。
「だってなんだか、ヘンな気持ちなんだもの」
「部屋に、お化粧を落とすための精油があるから、それを使ってね。緑色の小瓶に入ってるから」
「ありがと、ミネア」
アリーナは頷いて、階段に取って返した。

階段のてっぺんで、よく見知った人影と出くわした。
「クリフト」
「これは姫さま」
ホールからのざわめきが、少し遠ざかったような気がした。
「おやすみになりますか?」
いつもの優しい声音で神官は云う。いつもの優しい微笑みを湛えながら。
「うん。もう寝る」
「さようでございますか。お部屋までお送りいたしましょう」
「うん」
アリーナは頷き、階段を上りきった。クリフトが後に続く。姫は内心がっかりしていた。クリフトの反応があまりにいつもどおりだったので。
廊下の真ん中で、アリーナは立ち止まり、振り返った。
「どうなさいました、姫」
ちょっと不機嫌そうな主君の表情に、青年は戸惑った。
「……」
姫は上目遣いで、従者を見据える。瞳の端が、きらめいた。
(あ)
神官は気づいた。
彼にとって、アリーナはいつも輝かしくて、可愛らしい。けれど今夜の姫が一際美しく見えたのは、クリフトがさっき少し飲んだ葡萄酒ワインの所為ではない。
「姫さま、マーニャとミネアにお化粧の手ほどきを?」
クリフトの問いに、アリーナは頷いた。唇を尖らせ、すねたように。
「とてもお似合いです、アリーナさま」
「……本当?」
「はい、とても」
アリーナが少し機嫌を直したように見えた。姫はきびすを返し、また歩き出した。
アリーナたちの部屋の前まで、二人は無言で歩いた。
「おやすみなさいませ」
「おやすみ、クリフト」
神官は会釈して扉を閉めようとした。しかしアリーナが内側から彼を呼ばわった。
「クリフト」
「はい?」
「わたしの顔……変じゃない?」
クリフトは虚を付かれたが、すぐに破顔した。
「今日のアリーナさまは、とてもお美しいですよ」
「……おやすみ」
姫は扉を閉めた。

燭台スタンドに灯りをつけ、アリーナは改めて手鏡で自分の顔を覗き込んだ。
おとなびた、自分ではないような、自分の顔。
もう少しだけ、化粧を落とさずにいよう。
鏡の中の姫が、今日いちばんの、上機嫌な笑顔を作った。

 


個人サイトから移管したドラクエ4クリアリ小説です。2008-09年ごろ初出、2021年5月にpixivに掲載。
以下は本サイト更新時のブログから。どうも複数並行して書き溜めとくスタイルだったようですね。。。

 去年の冬くらいに「書きたい」と言ってたガールズトークのおはなし、「か細く啼く」をやっと蔵出しできました。10KBくらいのボリュームのお話が続いてますが、こんな感じでチョクチョク書きたいですね~。もっと短くてもいいくらい。散文的な感じで。